陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-11-10

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真理を求める道

どのような事であれ多くの場合、意見は二つに分かれる

その時に、本当の事を求める為に何が必要か考えると
科学的に考えようと努力する事でもあるが
その科学的とは何かといっても曖昧だ

科学的である前提に再現性が有るいう見方もあるが
その再現性は、人と時間と空間が違えば結果は違ってくるのでなかなか難しい

結局は、科学的とは、論理性が有るか?
客観性が有るか?だと思う


論理性は、タテ軸で積み重ねられるという事で時間論的でもある
客観性は、ヨコ軸で立ち位置を替えるという事で空間論的でもある
この二つの十字架の交点で考える事だ

これは、フラクタルの森の中心になっている考え方
左脳と右脳、右目と左目の神経がつながっている無限大マークの交点
額に在ると言われる第三の目
ここに有るというチャクラで考えるという事だ
そうすることで物事が立体的に見えてくる

論理性の説明をする図はこれだ
画像の説明

この論理性を科学的に分解して見ると
世界が有り、課題が有り、思いがあり、行いが有って結果が出る
その結果で様々な対立が起きて
様々な現実がぶつかり合う

ここで重要なのが、ここにある7つの要素を空白にしないこと
空白にして考えているとそこに入るべきでないモノが入ってくる

人間はどうしても目に見えやすい行いと結果の部分だけで考える
というか、ただ反応しているだけの事の方が多い
深く土の下まで掘り下げる人は少ないのだ

深く考えるとその原因である「思い」(動機)があり
それを包み込んでいる「世界」(宇宙)が有る
その世界観が真理とかけ離れていると、当然ながら、間違った結果を引き寄せてしまう

その為には、真理とは何かを押さえておく必要がある
その真理を求める時にも、当然ながら意見は分かれる

人は、皆、自分を中心にして考え
どうしても、自分の意見に固執する
そんな時に必要なのが次の図のような考え方だと思う

画像の説明
この図の中にもタテ軸とヨコ軸がある
立場を替えたヨコ軸の違った意見があり対立する

その両方の意見をタテ軸で見て行く
その意見を支える事実のみを集める
そして、その意見が全くの真実ならばどのようなことになるか考える
その作業の延長線上に「真理」が見えてくる

この現実・事実・真実・真理へとの道は
仏陀の四諦八正道と同じなのだ
苦諦・・・現実には苦があることを認め
集諦・・・その原因となっている事実を集め
滅諦・・・そこで真実を探し(比較し)本当の智慧を得るための努力をし
道諦・・・その為に八正道という反省の道に入り真理(悟り・解脱)を得る

これを再誕の仏陀は、様々な手法で説かれ、我々仏弟子の血肉となるように努力されている

客観性を説明する図には、もう一つある

画像の説明
客観性と言っても、人はどうしても自分を中心にして考える
神なる視点から考える努力が出来ないとすれば
どれほど客観的に見ようとしても空しくなる

様々な現実問題の解決のためには
論理的に見るため前提となる真理(世界観)を得る必要が有る
まずは、時間と空間と人間に関する真理である
死後の世界の有無、神なる存在の有無
次に、人間とは何かという悟りだ

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その次に、政治経済のこと
MMT理論も、地球温暖化問題も、放射線の問題も
税金の問題も、歴史認識の問題も、あらゆることを立体的に見る為の努力が必要だ

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