陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

詩(陶芸)

詩(陶芸)

全ては、陰と陽で成り立っている

「大切なものは、目に見えない」という言葉も有るが
人々は、目に見える表面的なモノばかりを追い求め
目に見えない究極の存在である仏神を見失ってしまっているようだ

土で器を作るのにも
欲しいという人、作ろうとする人が必要なのに

人間を器に例えることもあるが
人間という器であっても
欲しいという存在、創ろうとする存在が必要なはずなのに

そして、人間の細胞の中には遺伝子という設計図が在ることも知っているのに
人体が偶然に出来ているのではなく
遺伝子という設計図が元になっていることくらい知っているはずなのに

設計図(陽)が有るということは、設計者(陰)がいるということ
そして
人としての本能が有るということはプログラムが有るということ
プログラム(陽)が有るということはプログラマー(陰)が必要なのに

それほどに

簡単な理屈なのに

炎の情熱

ただ 土で形を作り
ただ 薪で焼き上げる
釉薬をかけて飾るわけでもない

ただ、窯(環境)の中で育つ 
炎の情熱が伝わり
その者たちの内部で何かが変わりはじめる

柔らかくなり動きが激しくなり
そして堅く結びつき 形を固める

その炎の情熱が 意味するモノとは何か
その深遠なる念いは分からないけれど
この地球の中心にも熱がある
我々の中心にも熱がある

その熱が表現しようとしているもの
その情熱とは何なのか
そのわき上がった情熱が 今は冷め 
今は ただ そこに在る
しかし、そこには 秘められた情熱が在る

その情熱は使われ 活かされる事で 
その見えない姿を現すことになる
器も人も活かされてこその命

光のカプセル

今、遙かな時空を越えて
仏神の光 黄金の光
智恵と慈悲の光 
降りそそぐ

この偉大なる  今
このきらめきの瞬間
窯の中にて 炎のゆらめくが如く
全ての仏性が 輝き あい照らし合う

炎が波打つ
炎がラセンを描く
炎がぶつかり合う

様々な器たちに
光のカプセルが届けられ
それぞれの個性が花開く

人と器

「人は、何のために生まれ、
何のために生きているのか?」
この人類永遠のテーマの答えは簡単な所にある

陶芸家は、土(地球)を使って器を造っているが
天は、土(地球)を材料に我々生命体を創り魂を吹き込まれた

私たちが「人のお役に立つように」と思い器を作るように
天も この地上生命を創るときに
おそらく 同じような思いを込められているのだろう

我々の存在の中に
我々の魂の中に
神仏が込められたる天意とは何かと考えると
その魂の奥に刻まれた本能の中に
各人が心の中で確認が出来るように
素晴らしきことのために「お役に立ちたい」という思いが有る

現実には、お役立ちの結果
他者の評価や報酬が生まれる事になり
その対価がもたらされることにもなるのだが
時に、結果に振り回され自分を見失うことがある

その目に見える成果、表面に現れた結果を
幸福そのものと見てしまうけれど
結果が生まれる前に 
すでに、その幸福の種はあるようだ

結果に振り回され
その種を腐らせるようなことだけは
したくないものだ

器と信仰

備前焼とは、無釉の焼き締めであり、
ただ土で形を作り、薪で焼き上げるだけの
見方によれば非常に原始的な焼き物
しかし、その原始的な作業の中に
何か、この宇宙の神秘を感じさせてくれるものがある

われわれ生命体も、元をたどればただの土くれ
その原理は、粘土で作られる器たちと同じ
なぜ、私たちのような生命体が創られたのか?
なぜ、粘土で器を作るのかを考え続けてみると
出てくる答えは、明らかに同じモノがあるだろう

天(神仏)も、楽しんでおられるのだろう
何かに役立ってほしいと願われているのだろう
そして、成長してほしいとも思われているのだろう

親が、子や孫を見るがごとく
いつも見守られてもいるのだろう
その成長の過程を喜ばれているからこそ
このような、手間暇のかかる世界を作られたのではないのだろうか
表面に見えている世界は、弱肉強食であり
理不尽にも思えることが満ち満ちているけれど
複眼で見るならば
すばらしい世界が開けてくる

このような世界が、偶然にできるようなことなどあり得ないこと
粘土が誰の思いも投影されず器にならない事が明白なように
この世界の万象万物には
天(神仏)の願いが込められているに違いがない

祈りとは、神仏、天の願いと
地上の私たちの願いが一つに重なること

それが、信仰ということの本質ではないのだろうか

主なるもの

画像の説明

ロクロから切り糸で切り離す時に渦の模様が刻まれる
その中心に玄のサインを入れている
これが玄明の世界観

あらゆるものの中心には
目に見えにくい玄なるモノがあって
目に見える明なるモノを形作っている

世界は全てが陰と陽の関係で成り立っている
陰陽とは、原因と結果
見えにくいもの と 見えているもの

紙幣の裏表の関係でもある

価値あるモノの背景には
必ずその価値を支えているモノが在る
万象万物の中にフラクタルとして在る

素粒子の世界にも
細胞にも中心に核がある
その連鎖がミクロの世界からマクロの世界にまで広がっている

一人の人間の中にも社会の中にも
惑星の中 太陽系にもある
銀河の中にも中心にはブラックホールがあり渦巻いている
その銀河もさらに大宇宙の中 どこかを中心として回っている
どうやら全ての存在には必ず中心となる核(主なるもの)が有るようだ

中心となる意識(理念・法則)が有り渦を起こしている
その姿、その構造が意味するところの本質は分からないが
ぼんやりと俯瞰すると、
その中に神の宇宙創造の秘密が隠されているのではないだろうか

この世の中には、この無限の連鎖が示すとおりに様々な神(主)が居る
出来るならば「地球神」レベルの意識にまで心を合わせたいものだ

自分という小さな自己を主とし
大いなるモノをないがしろにしていては
その周辺はゴミや芥が集積し醜い世界を呈していくだけだろう
体の一部の細胞が自己を中心に暴走するならば
全体を死滅に向かわせるガン細胞のようになるのだろう

宗教であっても
小さな自分たちだけを養護してくれるような
そんな小さな、神をも名乗るにはばかるモノを主としていたら
自己中心の思想宗教が蔓延し様々な争いがいつまでも絶えないだろう

せめて、地球神
肌の色、民族、地域を越えて
全人類を我が子として見ているような地球神
そんな存在を意識する事が大切なのではないだろうか

皆、一様に自己中という傾向は在る
ちっぽけな自己中でなく
大いなる自己を目指すべきだろう

小さな自己を離れ
地球神とまで行かなくても
全体的な視点で考える努力がいる

くれぐれも小さな自分を主となす事なかれ

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備前焼