陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

四諦八正道

四諦八正道深く考えるという事)

画像の説明
何かを考えていると言いながら、悲観的な結果を予想し
堂々巡りをして悩みを繰り返している場合が有る

考えるということを深く考えてみると
基本は、別の方法、手段を探してみたり
自分の立場を離れ、視点を変えてみるということでもあるだろう

結局、考えるということも文章になるということ

いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのようにして・どうなった(どうしたい)

それぞれに対して別のものに変えてみたり
検証してみれば良いことになる

ふつうは、考えるといっても
「どのようにして」のところで止まることが多い
「なぜ」と問いかけていてもここで止まってしまいがちだ
何故を何度も繰り返す事で、本来の「なぜ」に至る

もっと深く考えていくと、左の方へさらに進むことになる
(図では、地中深く探求する事になる)

賢人、偉人として
歴史上深く考えていた人はソクラテスと釈尊かもしれない
ソクラテスは「無知の知」という悟りまで至る
知らないことを知っている
自覚しているということ

「なぜ」をとことん繰り返すと神のみぞ知るという世界にまでいたる

一方の釈尊、仏陀は、フラクタルの森的に翻訳すると
歴史上一番よく考えることが出来た人と言えるのではないだろうか

それは「四諦八正道」の中に見て取れる
苦諦、集諦、滅諦、
道諦(八正道)に至る真理への誘いである


  • 正見(正しく見たか)・・・・・・・いつ・どこで・誰が・何を

  • 正思(正しく思ったか)・・・・・・なぜ

  • 正語(正しく語ったか)・・・・・・どのようにして
  • 正業(正しく仕事をしたか)・・・・・   〃
  • 正命(正しく生活をしたか)・・・・・   〃
  • 正精進(正しく精進しているか)・・・・  〃

  • 正念(ただしいい人生計画を持っているか)・・・・・どうしたい
  • 正定(正しい反省の時間をとっているか)・・・・・・どうなった

この「四諦八正道」は仏陀の悟りだが
釈迦弟子たちも、毎日、ピパラの木の下や洞窟の中で瞑想し
神仏の正しさを探求し解脱をし
人生の目的と使命を悟っていったのだろう

参考文献:「ユートピアの原理」の中の「真説・八正道」
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=193

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