陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

無知の知

無知の知

「私は、今、ここに、なぜ、生きているのか」
これを考えたことが無い人は
目の前の事ばかり考えてきたのだろうか
結果を出すことばかり考えてきたのだろうか

「なぜ?」を繰り返してもなかなか答えは出てこない
何らの成果をもたらすことは無いのかもしれない

しかし、これは、「自分」とは何かを問いかけることであり
人生の意義を知ることでもある
真理を知ることなく
この人生の根幹、人生の土台を知ることなく
その上に立派な建物を建てたとしても
それは、やがて砂上の楼閣として簡単にたおれてしまうでしょう

基礎を、今一度見ることだ
土台を、今一度検証してみることだ
今なら、まだ、間に合うかもしれない

「私は、今、ここに、なぜ、生きているのか」
この問いに、何故を、数十回加え検証したところで
結局は、解らないという答えしか待っていないかもしれない

しかし、ソクラテスの「無知の知」という言葉が有るように
「私は、知らないという事実を知っている」
この謙虚さが、偉大なる真理を知るための足がかりとなるだろう

この智恵を得ることなく、人生を終わるとするならば
どれだけの不幸だろうか
無知を認めたくないという気持ちが
その思考停止を助けているのだろうが
素直な気持ちになって探してみる必要が有る

現実、事実、真実という階段を登ることだ
現実の中だけに生きることなく   ・・・・苦
事実を集め            ・・・・集
考え、思索し           ・・・・滅
真実の智恵の道「八正道」に至る  ・・・・道

これは、仏陀の「四諦八正道
苦集滅道の道と同じようだ
「八正道」
この大いなる智恵を仏教は忘れて久しいのだろう

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