無知の知
無知の知
「私は、なぜ、今、ここに、生きているのか」
考えたことが無い人は
目の前の事ばかり見て生きてきたのだろうか
結果を出すことばかり考えてきたのだろうか
「なぜ?」を繰り返してもなかなか答えは出てこない
考えても何らの成果をもたらすことは無いのかもしれない
しかし
真理を知ることなく
この人生の根幹、人としての土台を知ることなく
その上に立派な建物を建てたとしても
それは、やがて砂上の楼閣として簡単にたおれてしまうかもしれない
基礎を、今一度見ることだ
土台を、今一度検証してみることだ
今なら、まだ、間に合うかもしれない
「今、ここに、私たちは、なぜ、生きているのか」
この問いに、何故を、数十回加え検証したところで
結局は、解らないという答えしか待っていないかもしれない
しかし、ソクラテスの「無知の知」という言葉が有るように
「私は、知らないという事実を知っている」
この謙虚さが、偉大なる真理を知るための足がかりとなるだろう
この智恵を得ることなく、人生を終わるとするならば
どれだけの不幸だろうか
無知を認めたくないという気持ちが
その思考停止を助けているのだろうが
素直な気持ちになって探してみる必要が有る
土で作られた器と人間を比較は出来ないが
試しに考えると似ているのではないだろうか
なぜ、そこに器が有るのか
器の立場からみると分からないだろうが
創った者の立場から見ると見えるものが有る
何らかのお役に立ってほしい
小さくても、この与える愛の思いが込められている
この事実を否定できる人はいないだろう