FrontPage/2023-09-19
無知の知
とは、書いて字の如く「自分が無知であることを自覚している」ということ
ソクラテスの言葉だが、この言葉はとても重い言葉であり、ある意味最高の知性ではないだろうか
考えに対して「なぜ、どうして」と聞かれても、自問自答するにしても
深く考えるなら必ずとどのつまり「分からない、知らない」という言葉に行き当たるだろう
そもそも、そう考えている自分自身のことも知ってはいないからだ
考えている主体である自分自身のことを知らずして、その自分が受け取っている情報を正しく認識できているかどうか、怪しいものだ
しかし、その自分自身の知性を常に疑っていては、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるようなことであり、快適な人生ドライブを味わえないだろう
ただ、時折、自分の知性、その認識を疑う必要が有る
最近、疑うという言葉は適切ではないけれど、頻繁に出てくることがある
それは、身の回りの空間に有る情報のことだ
目にも見えず聞こえもせず何にも無さそうに感じている私たちを包み込んでいる空間のことだ
現実としては、何もないように感じる
しかし、色んな物があることはそれほどの知識を動員しなくても「ある」という事実は認識でき確認できる
例えば、空気であり酸素である
鳥や飛行機が空を飛ぶために不可欠なものだ
それ以上に不可思議なことは、光であり電波である
光が植物たちのエネルギーであり、そのエネルギーの連鎖であらゆる生き物たちが生きている
電波(電磁波)として有ることを認めるしかない事実を探せばキリがない
テレビやラジオの情報が充満していて、受信装置が有ればその声や映像を見ることができる
携帯電話で通話がなぜできるのか、その仕組みはさて置いても,
それが可能だということは、その情報が有るということ
町中の強い電波(電磁波)が充満しているところや海上や山中の少ないところの差はあるにしても、感覚的にその強弱を知ることは不可能だろう
それに対応するデバイスを使うことで強弱は知ることができなくはない
ただ、私たちを取り巻いている周囲には、あの膨大な映像を含んだ情報が飛んでいるということだ
この事実を認めないわけにはいかない
こんなことは普段考えることはないけれど、なぜ、どうして、どうなっているのかと考え、さらにそうであるならと考えを広げていくなら色んな可能性が見えてくる
目に見えない存在の実在
霊である
幽霊も地縛霊も悪霊も悪魔も見えやしない
精霊や天使たちも神様も仏さまも目には見えない
時折、敏感な人が居て、そうでない人も感覚的に感じるときが有るということは、本当は有るということなのかもしれない
それらを一緒くたに考え共通するものを探そうとすると素粒子の問題が浮かんでくる
素粒子とは、あらゆる物質の最小単位であるが、この素粒子の性質が全ての全てに影響している可能性が有るということ
しかし、素粒子のことはいまだ分からないことだらけだ
分かっているとことは、素粒子には、粒と波の二つの性質が有るということ
ただ、その意味が分かっているわけではない
考えられることは、様々な素粒子が集まると物質を形成することと
分解されるとエネルギーという波になるということ
これは、原爆や水爆の核エネルギーで証明されている
素粒子、量子力学の科学が進んできたのは最近のことであり、不思議なことが次第に明らかに成りつつあるようだ
光の速度は一定のように思われているが、速度を無視したような遠隔作用とか幽霊のように突然現れたり消えたりするような現象も有るという
どうしても、私たちは目の前で起きて確認できている現象だけを元に認識する傾向が有るけれど、この量子力学の認識が進んでいく先には、おそらく霊的世界の真実も明らかになって行くのだろう
まだまだ、無知の知を深く認識せざる状況が続くだろう
頭の良い人たちは、それを認めたくはないようだ
政治や経済の中にも、それは有る
素直になり、自我から離れ、この宇宙の原初から存在しているだろう創造主、神の思いを忖度しない限り、この宇宙の本質を理解できないだろう
現代社会は、世界中で頭の良い優秀な人達が取り仕切っているせいで、神とか創造主をないがしろにして、自分たちが神の如くあろうと工作する
神有りの世界と神無しの世界
この二つの勢力が、今、争っている
さて、どちらが勝つことになるか
来年のアメリカ大統領選挙を見れば分かるだろう
ただ、神無しの勢力は、どんな汚いことも平気で出来てしまう
神有りの勢力は、よほど覚悟して取り組まない限り負ける公算は強い
そうなる前に、無知の知という謙虚さ素直さが全人類の中に広がることが大切なのだろうと思う
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