陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-08-02

Top / FrontPage / 2023-08-02

量子力学と陰陽学と宗教

物の最小単位が素粒子だという
光も素粒子であり、それらが共通して
波動と粒子の性質を持つという
理論物理学の世界は複雑で専門用語が出てくると
訳が分からなくなる


フラクタルの森では、すべてを陰と陽の関係で見る
原因と結果であったり、紙の裏と表であったり、思いと行いだったり
他人と自己だったり、相互関係で見ようとする姿勢だ
ある意味翻訳ということでもあり、翻訳に制限を設けない考え方でもある

要するに、似ている要素を探し、それらに共通する法則を探そうともする
どうしても、私たちは、意識のしやすい目の前に展開しているモノを中心に見る
結果であったり、自分のことであったりして、分かり易い、目に見え易いモノだけを見る傾向が強い
そして、判断が影響される
ただ、そのことに関わる見えにくいモノも見なければ、目を凝らして一生懸命に見ようとしても、片目ばかりで凝視することになり、そのことを立体的に見ることが出来ず、偏った判断しか出来ない

上白紙の

結果は誰しも最大の関心事だ
この「結果」も何らかの「具体化」が有ってのこと
そして、その「行い」の結果が出るのだが、その前にも動機という原因がある
要するに「思う」ということがある
その「思い」を見る場合も複眼で見ようとすると、思う前の原因があることが分かる
そのことをどのように「判断」してどう思った結果なのか見るべき側面がある

要するに言い換えるなら、次から次の局面に移るたびに「なぜ」「どうして」を繰り返す必要があるということだ
常に複眼で見る必要があり、それを無視するなら、物事は立体的に見えず正確に見れていない可能性がある
正確に見れていないとすれば、正しい判断しているとは言えず、間違った判断から自己も他者も不幸にしている可能性すらある
基本、「なぜ」を何度も繰り返す必要があるというという

しかし、「なぜ」と問いかけても分からないことは分からない
そこに至る過程で「無知の知」という謙虚さを持ちながら、学びの姿勢が大切であり、理解できないところは「信じる」という姿勢も必要になるのだろう
結局、図で表しているように下へ下へと掘り下げていかなければ本当のことは見えてこない

社会

この掘り下げることをせず、表面的なことで右往左往しているのが現代社会である
深く掘り下げていくならば、「宗教」の世界にまで入らざるを得なくなるのだが、ただ、未知の世界に入ってしまうと、誤魔化しの世界にも入ってしまいかねない
そこで、いろんな角度から推測を含めて可能性を探る必要がある

要するに世界をどう見るべきなのか
世界の意見は様々に分かれ、それぞれが相争っている

自説と他説の複眼で見るべきだが
マクロの世界とミクロの世界、両方から見る必要もあるのだろう
望遠鏡と顕微鏡の視野が有る
フラクタルの森的に考えるなら、ミクロの世界とマクロの世界は似ている
そこに共通していることが、どうやら理論物理学とか量子力学の世界から見られるようだ

光、光子が素粒子の代表のようであり、その素粒子には、冒頭で上げたような性質が有るという
波動と粒子の性質が有るという
波動とは、エネルギーであり
粒子とは、物質であるともいえるだろう

これは、アインシュタインの相対性理論のE=MC²で表現されている
要するにエネルギーは、物質(質量)×光速の二乗と同等であるという
物質からをエネルギーを取り出せば、膨大なエネルギーがもたらされる
この応用で核エネルギーが引き出されることになり、原子爆弾や水爆が生みだされている
ということは、目に見えている物質を作っている背景には、とても大きなエネルギーである波動が有るようだ
物質は、安定して静かに存在していても、目を凝らして見えないモノを見れるならば、違ったものが見えるのかもしれない

物質に封印されているエネルギーは、物質として目に見える形に収まっているだけだということ
太陽の光も粒子として地上に降り注いでいるが、その微細な光子の粒がぶつかりそのエネルギーを私たちに与えてくれていることは理解できる
ただ、波動としての性質がどのようなものかは分からない
ただ、波長の短いモノのエネルギーは大きいらしい
波長の長さで光も様々有り、可視光線の七色も有れば、それ以上の波長の長い短いが有る

分からないことは保留して、素粒子の二つの性質と陰陽の基本的な考え方から推測すれば「宗教」の本質も見えてきそうだ

宗教とは、ある意味、理論物理学とか量子力学のようでもある

中でも仏教は面白い
おそらく、その経緯から考えても他の世界宗教の上位に位置していることが分かる
他の世界宗教がより具体的な教えを中心にしているのに対して、仏教の教えは哲学的に解釈されるように難解さを含んでいる

例えば、仏教でいわれている「空」の考え方がある
これは「無」ではなく、奥深く理解の難しい概念のようだ
「色即是空、空即是色」という言葉もある
色と空とは同じであることを言ってるようだ
空とは、波動のことであり、エネルギーであり、目には見えない
色とは、粒子のことであり、物質のことであり、目に見える
アインシュタインの理論を説明しているようにも見える

目に見えている「この世」の世界は、見えていないけれど「あの世」の世界と重なり関連している
波動が形を成しているだけであり、形が無くなっても、波動だけは残る
人間に置き換えると、死んで肉体が無くなっても、その個体としての意識である波動は残る
その波動が存在しているのがあの世であり、あの世といってもただ目に見えないだけで、この空間に存在しているのかもしれない

宗教で言われるのが、この世は仮の世界であり、あの世が本来の世界であるという
死んで肉体を脱ぎ捨てても死んだことを理解できない人たちも多いという

私たちを取り囲んでいる世界に、無限とも思えるような様々な電波が存在しているように、この波という性質は私たちの理解を超えているモノのようです
私たちは、粒子という立場の視点でしか見えていない
波動という立場の視点で見るならば、違うものが見える可能性が有る
この波動とは霊的な視点であり、釈尊とか空海とかの悟りを極めた存在からはハッキリ見えている世界なのでしょう
もちろん、悟りのレベルの違いで、見えたりたり聞こえたりするものは違う

私も、聞こえるはずのないものが聞こえたりすることが有り
友人知人には霊的なモノ、幽霊とか見る者もいる
口寄せといって霊の言葉を伝えることのできる者もいる
大川隆法総裁先生などは、それらと比較にならない能力を持たれ、多くの情報を得ることが出来るようだ
これらは、霊的世界とも言われ、波動の持っている本質から見れば解明されるものかもしれない

量子力学の世界、理論物理学の世界が深まることで、霊的世界の解明が進むと思われる
霊界と宇宙の本質との関わりも見えてくるだろう
この霊界科学が進んでくると、UFOの動きが信じられない動きをしたり、幽霊のように突然消えたり現われたする事とも似ている
更に、彼らは光の速度で何万年もかかるような宇宙から飛来しているようだが、波動の世界を移動することで可能なようだ

量子力学から宗教を見るということは、究極の複眼で見ることにもなるのかもしれない

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼