陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-07-09

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仮説

最近、この宇宙と私たちが使っているインターネットの世界が似ているように思えて仕方がない
インターネットもパソコンも詳しくないし、パソコンの世界も考えて不思議で仕方が無いけれど、おそらく似ている

このフラクタルの森の考え方として、自己相似性を考える
色んな事象に共通して、ある種の法則が働いているという考え方だ


それは5W2Hの中から読み解くと、世界が有り、思い(陰)と行い(陽)という三つの要素で私たちは生きているということ
世界にも、時間と空間という要素があり、その中で私たち人間も存在している
この人間の存在も、単独で偶然に生まれて存在することなど不可能である以上、設計者という存在を意識することが無ければあり得ないこと

必ず、陰と陽の二つの要素で成り立っているだろうと想定できる
もっと小さく見れば、この陰(思い)と陽(行い)も四つの要素に分かれていること
この四つの要素が全ての存在や事象に関わっているらしいこと

この陰陽二つの要素と、四つの要素を見て、全体を見るときに三つの要素を意識する必要があること
こんな書き方をすれば、さらに意味不明となりそうだ

もっと意味不明となりそうだが、
この宇宙は、携帯電話やインターネットの世界と似ているようなのだ
これらは電波とかが使われているが、電波や電気の世界も良く分からない
電気も電波も人間は使いこなしているように見えて、何も理解していない可能性がある

それ以外、電波だけでなく、重力波もあり、霊波とか念波、何らかの波動がこの宇宙に充満していると思われる
光も素粒子でもその見えている姿の奥に波動が隠されている
光には屈折率の違う七つの光が有るが、その意味するものは何なのか
その波動が、具体的に何であるのかおそらく人類には理解できていないだろう
携帯電話でも基地局が有って、どこまでも繋がっていく
何らかの霊波がこの宇宙全体を覆っていて、星々に独特の中継基地という機能があり、その星の特徴を出している可能性がある
全宇宙を覆ている霊波は、おそらく、創造主、神が発信されているものだろう

大川隆法総裁からの学びでは、この宇宙は愛という思い(念い)で創られているという
考えれば、人間が創り出しているものは、基本、どのようなものでも愛の思いが入っている
愛の思いが無ければ、設計図など書けないはずだ
さらに考えれば、植物も動物も、私たち人間の体も、設計図が無く出来上がってくるなど、あり得ない
そこに入っている魂にも、そのソフトにもプログラマーなる存在が要るだろう
この思いがインターネットのごとく全宇宙に遍満しているのではないだろうか
その情報がクラウドのごとく存在している場所があるのではないだろうか
私たちの肉体には、明らかに不思議な機能がある
免疫力にしろ、肉体諸器官にしろ、例えばケガをすれば血を止めて自身で修復する機能を持っている
肉体の中でガン細胞ができても自分で処理できる
肉体の持ってる機能を知れば知るほど、その機能がその部位に備わっているとは考えにくい
このパソコンという小さな物体の中に膨大な情報が有るというよりは、それが全体に繋がっていて活用できるのと同じなのかもしれない
本能にしてもそうだ

このパソコンでも自分で時折バージョンアップしたり、バグが有れば勝手に修復もしてくれているようだ
おそらくではあるが、似た機能、それを超えた機能がこの宇宙の中に霊波か何か分からないけれど、あるのではないだろうか
その神のクラウドから情報を受けて、私たちの肉体は生存を続けようとしている
その情報を正しく受け取っていれば、生存を続けることができるけれど
その情報を遮断するようなことをすれば、肉体は修復機能を失い不都合な事が起きる

コンピューターの世界ももっと進化していくだろう
びっくりするような進化をするだろう
ただ、これも神の創られている世界の中のことであり、神の創造されている思いを超えるものは出来ない
そこにたどり着くのも無理だろう

これは、悟りの世界であり、エルカンターレという根源の悟りを得られたかたにしか見えない世界だろうと思う

昔、何かで読んだことがある
人が心の中で思えることはすべて可能であり、思えないことは不可能だという

神が、思いによってこの宇宙を創られたように
私たちは、私たちの周りの小さな世界を、肉体を含めて、自分自身の思いで創り上げている
もちろん、肉体を持って生まれ変わってくるときに、自分にとって学びになる最適な肉体と環境は自身で計画されて、様々な形態が有るだろうし、理想的で完璧なものではないかもしれない
病気も事故も事件も起こる
この地上の生命の姿を見るにつけ、その多様さは多くの不思議を含んでいる
その不思議は理解しようもないことが多いけれど、不思議を放置しながら、あまりにも知ったつもりになっていることがどれほど多く有るだろう
専門家と言われる人ほど、そのプライドからかもしれないが、無知の知を知らない傾向があるようだ

この体に与えられている力も、自分の力ではなく、神のクラウドに含まれている波動を拾って調律されているのだろう
その調律を狂わせているのは、おそらく、自分自身

私たちは、今、現代社会で、その思いと行いでこの地球の上に社会を創っている
調律を狂わせ、神の奏でられている旋律に不協和音を紛れ込ませるならどうなるだろうか
心と体の不調ばかりでなく、社会全体に雑音が鳴り響くことになるのだろう

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