陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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フラクタルの森での考え方

物事を立体的に正確に観るための方法として提唱している図が何点かある

3点測量
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両目で観る
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これらの図は、
哲学的弁証法で言う正・反・合の視点で観るということと同じである
この弁証法は、いろんな考え方があるようで複雑でわけがわからない
フラクタル的弁証法は単純で、
自分の正しさと、他者の正しさと、全体の正しさの視点を探ることにある

多くの人が様々な課題で間違いを起こしている背景を観るならば
自分自身が正しいと思い込んでいる視点でだけしか観ないことに有る

この傾向を持つ人たちは、左脳的頭脳明晰な人に多い
リーダー的資格を持つ優秀な人に多くなる傾向がある

何故なら、自分の正しさに自信が持てなければ
民衆を率いて時代を引っ張っていくことが出来ないからだ

ただ、この3点で観ることであっても発展段階が有るようだ

構造的には、まず、自分の視点での正しさが最初に有る
レプタリアン的思考といっても良いが
自己の視点から観て間違っている考えに対して単純に攻撃的になることだ
自分が強者の立場にあるときに陥りやすい考え方である

次に、他者の正しさを重視する見方が有る
これは、民主派、リベラル、左翼傾向に走る流れである

ただ、上っ面でしか見ることが出来なければ
自己なる部分を中心にしながらの他者の視点になることだ
結局は、お為ごかしとなるということ

その視点が、他者の意見を本質的に観るようになると困った問題も起きてくる
同情的、融和的になり、優柔不断な考え方になりかねないことだ
結局、決断が出来なくて正しい判断が難しくなる

そこで、合なる視点が必要になる
合とは、客観的視点だ
ただ、客観的と言いつつ、人は自分にとって都合の良い存在を持って来る

本来、この合なる視点には、神を持って来るのだが
信仰心の無い人にとっては無理なことで
いくばくかの信仰心が有っても、持って来る神がどのようなものか難しい
地域の民族神か、神格を持たない偽物の神で有る場合もある

せめて、地球神
全人類を我が子と認識しているような存在が必要だ
出来るなら、全宇宙の創造主をイメージする必要が有る
その神なる視点を探ることなく正しさを求めたとしても危ういことだ

幸福の科学の教えである
「正しき心の探求」は、まさしく神の視点、神の願い
神から観た正しさをイメージして探求することだ

結局のところ、世界中に悪がはびこり、不幸が広がる背景には
信仰心が無かったり、稀薄だったり、別の物を持って来ることだ
拝金教であったり、悪魔信仰まである

基本の基本には、正しい信仰心が不可欠ではあるが
「陰陽の両視点で観る」に様々な課題を入れて考えるだけで
様々な対立している物事が立体的に観えてくることだけは言える

ただ、この3点測量であっても
ただ立ち位置を変えるという「空間的視点」ヨコ軸での考えである
もう一つ「時間的視点」のタテ軸での考えも必要だ

昔から知識、認識には何段かの整理箱が有ると思っていた
ただ聞いたことがあるという認識
知識として学んだことの有る認識
経験を通して学んだ認識
3段くらいの整理箱のどこに入っている認識なのか考えることがあった

今、整理しているのが
現実・事実・真実という整理の仕方だ

今まで、この図の中にいろんな対立する課題を入れて考えてきた
「死後の世界の有無」

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「MMT理論」
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「地球温暖化問題」

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「創造主の有無」

「宇宙人(地球外生命)の存在の有無」について書こうと思ったが
今日はここまでにしておく



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