陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-11-18

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「考える」とは、どういうことなのか?

深く考える事が、案外わかっていないのではないだろうか

そもそも考えるとはどういう事なのか
記憶をたぐり思い出すことだけではないだろう
考えるとは、基本は、別の見方をしてみること

結果に対しても人、時、所が違えばその判定にも違いが出る
行為においても、思いにおいても違う見方、とらえ方がある

こうすれば、こうなる
ああすれば、ああなる
色んな場面を想定して考えることもそうではある

そもそも課題に対する見方考え方にも違いがある
その違いをもたらす原因は何かというと
人、時、所に対する認識の違いが背景にはある

要は、世界観、人生観、宗教観の違いが背景にはある
ここを求める姿勢なく、付加う考えているとは言えないだろう
上っ面だけ、表面的な所だけ考えている
インテリが増えているようだ

真に深く考える
当然ながら、ソクラテスのような「無知の知」に至ることは必然

無知を知らぬは、愚かなり



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