陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-07-25

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エポケー

エポケーとは、一時的判断停止のことのようだ
その意味を深く知りたいとも思わないが
何らかのプラスの面が有って使われていることのようだ

しかし、同時にマイナスの面も有るだろう


要するに、思考停止であり、「何故、どうして」という探求を停止させることにもなる

世の中には、確かに「なぜ、どうして、なんで」と問いかけても答えが出ないことはたくさんある
その探求を停止させ、現状で分かっている事を受け入れる

ただ、ここで問題になるのが、その状態のままで分かっている気になってしまう事だろう

例えば、死後の世界の有無とか、創造主の存在のことだ
死後の世界も創造主も証明することは出来ない
ここにエポケーなる判断停止を持ってきているのだろうが、死後の世界も創造主も否定的な判断をする人が多くなっていることが問題だ

よく質問するのだけれど、死後の世界は無いだろうと思っている人は多く、過半数を超えている
高学歴の人ほどその傾向は強く、迷信の世界のように思っているようだ
創造主に関しては、当然ながらそれ以上だろう

結局そのような人達は、唯物論、無神論で安住している

そこで、必要なことは「無知の知」という謙虚な姿勢が大切だということ
私たちの科学が万能ではなく、分からないことだらけであることを知る必要があるということ

なぜ、私たちは、生まれ、生き、そして死んでいくのか
その先は、有るのか無いのか

生命の最初は、一つの細胞、一つの種から始まる
そこには遺伝子なる設計図のようなものが有るという
しかし、そのちっぽけなモノの中に、細胞分裂しながら色んな器官に分かれる設計図があり、それぞれ固有の仕事をし始める
IPS細胞でも証明されているように、細胞を初期化して固有の細胞として増殖させることができる
小保方 晴子氏の STAP細胞も同じように初期化する方法のようだ
詳しくは知らないけれど、一個の受精卵の中に私たちの皮膚や神経細胞や血管や筋肉や色んな諸器官に変化する設計図が有るということだ
そこに、魂が宿り、心の動きなるものがあり、本能なるモノまで組み込まれている
このことは、科学で解明されてはいないけれど、まさにエポケー
判断停止をして、私たちは、常識として受け入れている

この不思議さを認知することが出来なければ、いったいどういうことになるのだろう

やはり、「無知の知」を知ることのない人生は、愚かな人生になりかねないのではないか

あの世の存在は、世界宗教となっている宗教の教えから学ぶことが出来る
創造主なる神も感じ取ることが出来る

そして、今、科学が進み、物理学の世界の中で超ミクロな世界の解明のおかげで宗教で論じられる奇跡の話も解明されようとしているかのようだ
量子力学陰陽の考え方も関連性は有るようだし、宗教の世界も、インターネットの世界も無関係ではなさそうだ
そのIT技術で使われるフラクテル理論とも関係しているようだ

無知の知を感じつつ、今、社会に現れているすべての認識を白紙の上に並べて考え、感じると、途方もない真実が見えてきそうなのだ

全ては似ている
一つの単純な法則の元に存在している



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