FrontPage/2023-07-14
素粒子論とフラクタルの森
フラクタルの森は、5W2Hで整理され、それは、三つの要素に分かれている
世界(環境と主体)が有り、思いと行いで構成されている
その世界は、それらを理解するには複雑すぎて理解できないけれど、次に来る思いと行いの二つのことで世界を変えたり、何かを創ることができる形の無いものでも形の有るものでも創り出すことができる
要するに設計図とそれが具体化されているモノ
おそらく、私たちを取り巻いている世界も環境も同じ可能性が有る
言い換えるなら、陰と陽の要素で成り立っている
ミクロの単位である素粒子も発見されているのが光子を含め17種類あるというが
それらの特徴として、波と粒の要素が有るという
フラクタル的に自己相似性を感じながら考えると、マクロの世界も陰と陽の要素で構成されているが、最小単位の素粒子の世界でも同じことが言えるようだ
目に見えにくいモノと見え易いモノ
要するに波と粒の性質が有るということ
このフラクタルの森では、波を心の波動と受け取り「思い」であると整理する
粒を「行い」であり、具体化されたものと整理する
波の世界を唯心論の世界(心象)とし、粒の世界を唯物論の世界(現象)としている
唯物論の世界では、目に見え易いモノばかりで考える傾向が有る
その為に、この社会では規則とか制度ばかりに重きが置かれがちだ
その為に杓子定規になり易い
その理由はと言うと、社会ができるための要因として思いとか動機と言ったメンタルなものを無視しがちなことがある。
この無視する傾向性は蛇行し、だからこそ、そのメンタルを操作しようとして暗示行為を重視する
金の力で大手メディアなどを通してフェイクニュースを多用し、ウソでも堂々として垂れ流す
これらは、世界経済フォーラムとかでも充満した考え方だろう
しかし、このフラクタルの森では、必ず「思い」が有る
この図でも表しているが、思いのところには「宗教」と「道徳」が有り、そこに有る規範に従って行動が自然に規制されるのだが、
ダボス会議や世界の中心に立って社会をリードしている唯物論の人たちは、強制力を持ってしなければ無理と感じているようだ
唯物論では、自己を世界の中心に置き考えるためにそのようになってしまうのだろう
その為に、社会を理想的な形にしようとして管理社会を推し進めることになる
その人間の知力でもって対処しようとしても、知性や理性だけでは対処できるものではない
デジタル的な操作では不可能であり、アナログ的な感性や悟性が働かなければ、簡単に蛇行し、少な過ぎたり多過ぎたりする
この世界観と思いの世界、宗教と道徳の学問が無ければ、難しくなる
もちろん無宗教という唯物論の世界観は問題外ではある
このミクロの極致である量子論が宗教における世界観に及ぼす影響は大きい
この世界の本質を知るうえで、宗教から学ぶことだけでなく、量子力学などからの考察も必要になるだろう
宗教の中でも最高と思われる仏教には、明らかに素粒子論を感じさせるようなものも有る
「色即是空 空即是色」
これなどは、最先端の量子論を超えている可能性も指摘されている
私たち凡人には、単に信じて学ぶしかないけれど、それに準じた「心の教え」を注目しないわけにはいかない
伝統的な世界宗教の中には、共通した天国地獄の考え方も有る
素粒子力学を含めた宗教学が、これからの未来の思想(宗教)の主流になるだろう
エルカンターレが言われている通り、未来の最高学問は「宗教」だろう
正しい宗教さえ広がれば、細かな規則や規制など不要であり、各人の心の中に有る神仏から引いている光の規範に照らすことができるなら正しい道を歩むことができる
心の法則(波動)と経済という物流も深く連動している
地球の波動も天変地異と連動し、地上に住んでいる私たちが出している波動とも共振し、見えている粒子の形で現象化するようだ
今、地球を覆ている人々の波動を感じる限り、これから何が起きても不思議ではない
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