陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-06-23

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玄明 陰陽学

とは、何かというと
目に見えにくい大切なモノを見ませんかということ

見えにくい基本的なモノは、時間、空間、人間の中にある

     陰と陽
時間  原因と結果    重なって見えにくいモノ
空間  他者と自己    離れて見えにくいモノ
人間  好き嫌いと損得  混ざって見えにくいモノ

それぞれに、どちらも見えにくく、片方だけで見る傾向が有りますが
より大切なことは陰の方であり、その大切なモノを見ない傾向があるために、自分たちが何を求めているのか分からなくなることが有ります

そして、もっと究極的な見えないモノがそれぞれの中にあります
これらは、もっと大切なことであり、ここを見られないとするならば、どんなに良かれと思って行動してもメチャクチャなことになってしまいます

私たちが生きている世界はどんな世界であり、なぜ生まれ、なぜ生き、死んだらどうなるのか、死後の世界は有るのか無いのか、神仏は存在するのかしないのかということです

時間(いつ)   生まれてから死ぬまでの時間しか無いのか、
           それとも、転生輪廻と言われるような時間も有るのか
空間(どこで)  この世だけなのか、
           それとも、死後の世界も有り天国や地獄も有るのか
人間(だれが)  偶然に生まれただけなのか、
           それとも、神の子として生み出された存在なのか

偶然に生まれ、有限の世界の中で、瞬間的な時間を生きているのか
それとも
必然として生まれ、無限の世界の中で、永遠の命を与えられているのか
ということ

ミクロとマクロの世界観ですが、相互に関連しています
要するに、マクロの世界観で唯物論に支配されている人たちは、ミクロでも当然ながら見えにくいモノを無視する傾向が有ります
見えにくいモノを見ない傾向のある人たちは、自己中心主義になり易く、結果ばかりを重視するようになります
自己中で結果主義であり、表面に浮かび上がっていることに左右されます

大手メディアの報道を鵜呑みにし、バラまかれる餌に簡単に食いつく
庶民だけでなく、為政者や情報発信者側も同じ土俵で相撲を取ることで
その時代は、軽薄で御利益ばかりを見るような社会になってしまう

目に見えにくいモノ、大切なモノを見る文化を育てる必要が有る

スマホなどが広がり、情報過多の世界が広がり、どうでもいいような情報に振り回され深く考えることがなじまなくなっているようです
深く物事を見て考える文化を取り戻さないと国を危うくする

マクロの世界観は、宗教が担当分野であり、この重要さは何事にも代えがたいモノです
正しい宗教が、正しい世界を教える必要が有るけれど、正しい宗教である仏教を背景にしているはずの創価学会(日蓮宗という仏教)であっても御利益信仰となって自分たちが得られる結果ばかりを見るようになります
これは、原因と結果という両方を見ていないからです

LGBTのことでも書きましたが、他者の意見と自己の意見を白紙の上に置き、更に原因と結果、更に、それを原因としてどのような未来が来ることになるのか、それらを複合的に見ることが出来れば、LGBT理解増進法など法律で決めるようなことではないことは明白です

この見えにくい大切なモノを見ていく文化を醸成しなければ、ソドムとゴモラの街に起こったようなことが世界中に起きるでしょう



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