陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-09-29

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世界は、フラクタル

身近なことでも
想像をはるかに超えた宇宙規模のことでも
共通した一定の法則が有るようだ
この法則はフラクタル、自己相似性があり、
同じことが繰り返されている可能性がある


事件や事故でも正しく伝えようとすると抑えるべきポイントがある
同じように、あらゆる生産物でもサービスでも同じことが言える
文章を書くとき、記事を正確に伝えるための5W2H
どうやら、全ての事に共通する法則のようだ
この流れが全てに在り、循環し繰り返されている

いつ・どこで、誰が、何を、何故、どうやって、どうなったのか
環境(前提)が有り、思い(動機)が有って、行いがあり、結果がある
時間と空間と主体という前提が有り、客体(課題)をどう見て、
どのような動機が有り、何らかの方法で、創られ、今そこに在る

粘土で作られる器も、家でも、車でも、パソコンでも同じこと
人生そのものも同じこと
ただ、偶然に出来ることなど有り得ない
何であれ7つの要素が有り、4つの流れが有り、出来ている
あえてシンプルに見るなら、全て、思いと行いで出来ているのだ
この法則の基に私たちは存在している

これは因果の法則でもあり
この陰(思い)と陽(行い)の連鎖で全ては存在する
思いは目に見えないけれど、行いは目に見えやすい
フラクタルの森では、これを陰と陽と表現している

粘土で作られる単純な器でもそうだが
私たちの創造を超えた大自然の構造物についても同じだろう
目に見えていることばかりを見てしまうけれど
その奥には、必ず、見えないモノがある
私たちのこの肉体にもその法則は有る
だれが創り出したのか?その思いの主体を特定は出来ないけれど
その創造主体と我々人間ともフラクタル、自己相似性があり
思いの力の一部を使い健康にもなれるが
がん細胞まで作り、育て上げ自らを亡ぼすことも出来る

この宇宙の主なる存在の思いが、この宇宙を作り出し
我々の心の中にも同じ思いの力が創り込まれている
その思いは自由に任されているけれど
自由には責任が伴う

その思いの偉大なる力を主なる神の願いと一致させることが出来れば
おそらく、私たちの力は無限大のものなのだろう

その神なる存在の願いは、「なぜ」に秘密が有るようだ
なぜ、宇宙を創られ、人類を創られ、魂を創られたのか
なぜ?を深く、深く見つめるなら
そこには「愛」が有る
私たちの心の中にも
経済原理の中にも
深く深く見つめるならば、そこには「与える愛」が有る
愛が無ければ最良なる循環は生まれないからだ
弱肉強食だけでは善なる循環は生まれないからだ
私は、そう信じる

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