陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-06-17

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唯物論、無神論の弊害

唯物論、無神論の中にいると、どうしても、目先の結果を中心に考えます。
見えにくい所が見えずに、表面に浮かび上がって、目の前に広がっているモノだけを見てしまう。


ウクライナ問題でも、コロナ問題、ワクチンの問題でも、メディアのニュースで流れて見せられているモノに引っ張られます。

その情報を扱う者にとっても、海外から提供される情報が、どれだけ恣意的に扱われていようと、その反面に存在する事実を探してまで報道しようとはしません。
もちろん、同時に、自分の立ち位置での損得勘定も働くために、さらに偏った姿勢になります。
元々の発信が偏っているのに、それを中継する人、それを受け取る市民たちは、簡単に洗脳を受けてしまう。

その洗脳の過程は、次の図を深く見れば分かります。

論理的考察

唯物論、無神論とは何かということです。
世界」の見方が、左側ということです。
死ねば終わり、あの世も無く、神仏なる存在など無いという考え方。
こちらの考え方だと、どうしても、「行い」のどうしたからこうなったのところが重要になります。
思い」がどうであれ、目先に出てくる「結果」が重要になります。
そもそも、何故それが起きているんか、その課題に対する認識とかが薄っぺらくなり、悟性自体に靄がかかることになり、感性が弱くなる。
「なぜ」「何故」の所が希薄になるのです。

その結果、嘘をついてでも結果を出すことに抵抗が無くなります。
歴史問題でもウクライナ問題でも、平気でうそを流している人達は、この左側の世界観に影響されている人達です。

この世界観(宗教観)が真理に沿ったものでなくて、唯物論、無神論だということが、
どれだけ愚かなものにつながって行くか、考えなければなりません。

今、政治経済で議論されている、財政問題でも、緊縮財政とかMMT(財政出動)とかでも一緒ですが、行いの所、結果の所しか見ていないのです。
そもそも、そのような状況がなぜ起きて来たのか、それを続けるとどうなるのか、そこまで深く考える事が出来ないようです。
その根っこを理解して解決しようという意思が希薄となる。

この緊縮財政(財政均衡主義)、MMT(財政出動主義)とは視点を違え、幸福党では松下幸之助の「無税国家論」を目標にしています。これは可能であり、神仏の願いとも合致しています。

https://www.youtube.com/watch?v=ri_0PQBp6I4

(332) 【6月16日】20:00~21:00 勉強会ライブ~ 本当にできるの?及川さんに疑問をぶつけよう!~*アーカイブ*【ご参加ありがとうございました!】 - YouTube

この隔たりを理解できない人は、頭、それも左脳の優秀な人達でしょう。
ただ、右脳的な所が停滞している人達です。



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