陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-03-01

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人生観を左右するモノ

この図の左右、どちらを選ぶのか
多くの人は、今まで考えたことが無かったか、
もしくは、考えるまでも無く、どちらかに固まっていて問題外に片づけられていたかもしれない。

死後の世界


だが、「真実なら」で書いているように
それを確信しているなら、逆の世界観で生きることは、あまりにもバカげていることになるだろう。
あまりにも愚かであり、それを宣伝するようなことは犯罪以上の悪になりかねないのだ。

昔、30歳以前の霊的世界観も無く生きていた私自身の認識はどの辺りに有ったのか、この表を提示されて答えるならどうだっただろうか。
ユリゲラーに刺激されて、念力とか透視とかに興味が有り、見えない世界の事を事実として体験していても、死後の世界、霊的世界が有るかどうかなど考えていなかった。

おそらく、「有る」の側の△のあたりと答えるだろう。
しかし、この表の元になるようなことを作り、30以後の人生計画を考えた時に考えたことで、「〇」レベルを選ぶようになっていただろう。
(今は、もちろん、体験と学びを通して◎を超えている)

今まで多くの人に質問して得た回答の多くが、△の人が多かった。
比較的多かったのが、左側の△「無いだろと思う」レベル以上、〇「無いと思う」だが、
唯一、ただ一人、左側の◎を選ぶ人がいた。
確信していると言われるのには驚かされた。

時々来られて、私と過去世でも縁の深そうな感じのする北朝鮮の在日韓国人の人だ。
この表を渡して質問したのはつい最近の事だが、人のよさそうな人でなんとなく私を応援してくれている。
頭は良さそうで、哲学とかいろいろ勉強してきた結果の結論のように言われていた。
彼は、朝鮮銀行で働き朝鮮総連の職員もされて退職された人だ。

これを機会に私が人生設計をしようとした時のように深く考える機会となって右側に移行してくれれば良いと思うのだが。

昔、世界観がどちらが正しいのだろうと考えた時に考えのスタートに有ったのが、今思い返してみると知性の事だったように思う。

知っているということでも、知性の整理箱があり、△・〇・◎に分けて観る必要があると思った。
要するに「知っている」ということには段階が有り、ひとくくりで考えるわけにはいかないということだ。

聞いただけ、学んだだけで自分の知識としてるのが最初に有り
次に、経験などかをとおして間違いのない知識としているのか
更に、状況の変化に対応しても対応できるように、反省というフィルターを通して認識し知識としているのか
少なくとも、知っているレベルには3段階は有ると考えていた。

△   ただ、知っているレベル  (聞いたこと、学んだことが有る)
〇   信じているレベル     (そうだろうと思う)
◎   確信しているレベル    (そうに違いない、知っている) 

最近のメディアの報道もそうだが、この知性のレベルが曖昧なのだと感じる。
専門家、学者と言われるような人達も専門知識だけで考えるせいなのか△レベル、〇レベルで言論していることが多いようだ。
職業上、曖昧な姿勢でしゃべることが出来ないのだろう。
そのせいもあって、一般庶民は△レベルでの知性で考えるために、簡単に洗脳されてしまう。

立体的に見る必要性があり、対立する意見も大切にするべきだと思う。

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