陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-10-06

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原因を無視した結果主義

「結果主義」

結果主義とは、あらゆる課題が抱えている問題であり
結果ばかりにこだわっていると
その求めている結果そのものが逃げていく

その結果が生まれる原因を作ることが大切なのだ

その原因を作るためには、次の図の結果以外の所を正しいモノで埋める必要がある


仕事

どうしたい(目標・結果)の中に入るべきものは、当然ながら大切だが
その事を注視しすぎると、そこに至るまでのことがおろそかになる傾向がある

一番分かり易いのが、お金が欲しいという欲求が有る

人として生活していく以上、お金という便利な道具が必要ではある
問題は、結果主義になり、その事ばかりで頭が一杯になると
そのお金が生まれる原因を無視するようになったり
その手段も手っ取り早く簡単な方法を選んでしまう場合が有ることだ

一番手っ取り早くお金を手に入れる方法は、
他人が苦労して得たお金(価値)を横取りすること

ただ、強引にやると普通は犯罪になるのでブレーキはかかる
そもそも、お役に立った結果が報酬や賞賛という結果につながるのであり
その愛の行為自体が人間の喜びであり、
人間の感じる幸福そのものなのでブレーキがかかっている

しかし、結果しか見れなくなると、そのブレーキが外れてしまう

現代の政府の徴税システム自体も結果主義に陥ってしまている
視点を変えれば国家ぐるみで犯罪行為をやっていることになる

取れるところ、有る所から税金を集めようとして
あらゆる方法を模索して、貯金税などというものも検討されているという

消費税も何ら結果を生み出す種にはならないのに
目先の算数で税収が増えると思いやっている

国民の為に使うためにやっている事だと思っているのだろうが
現実は、その資金が使われている先が
票目当てのバラマキ(賄賂)になっていたりするために
国家の資産にもならず、国民の民度を下げ、生産性の向上にもならず
消えてしまうという悪循環を起こしている

客観的に、神の視点からすると犯罪行為に等しいだろう

目標における「結果」は大切だが
「原因」を作らなければならないのに
そのことばかりを意識して、複眼で見ることをしなければ最悪だ

与える愛の思いと、その具体化だ

与える愛の行為が、どこかで、誰かに、
本当の意味で周囲の人達の「お役に立つ」っていれば
その循環は、必ず価値を生み好循環に寄与してGDPを上げる事になり
結果として税収も増える可能性がある

税収が不足しているのは、政府がしている多くの仕事に
本当は価値が無く、逆の働きをしているせいだ
価値が有り、多くの人が認めることが可能なら、
その仕事で対価を直接払ってもらうことも出来る

そうすると、税金という形で資金を寄せてもらっていたものが必要なくなり
松下幸之助さんが言っていたような無税国家も夢ではなくなるでしょう



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