陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-09-26

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普遍的な課題を表現するピラミッド

価値
社会にはいろんな課題が有ります
それぞれの課題で、求めている成果(結果、収益、評価・・)を得るためには
そこに至るための階段をキチンと登っていかなければなりません


もし、求めている成果を得られなければ
どこかの階梯で足を踏み外しています

個人的な課題も、国家的な課題も同じです
翻訳が変わるだけで、因果関係の法則は一緒です

以前は、「代金」としていたところを「価値」という言葉に置き換えました
「所得」としている所も「成果」に代えても良いのかもしれません

人生の営み自体が、全て、ある意味「仕事」です
その人生が生み出したことが価値を生み、その価値がいろんな事に姿を変えて循環しています
それが、社会です

色んな課題には主体となる存在があり
その主体は、この宇宙の一部であり
その宇宙自体を見誤ったり無視したりして
主体たる自己を拡張し大きくしすぎるならば
天からの恵み、応援が得られにくくなってしまいます

世界を見る目に間違いがあると、正しい判断がしにくくなります
良かれと思って成したことに狂いが生じて
その人生が、その仕事が価値を生まなくなり
その存在意義そのものが小さくなり消えてしまいます

自分我という我が大きくなりすぎてガン細胞となり
切除されることになるか
共に全体を朽ち果てさせることになります

この図を見ながら繰り返し思うのが
釈迦仏教の「四諦八正道」です
釈迦弟子たちが瞑想的思考の中で毎日繰り返し
自分の思いと行いを検証して
仏の悟りに近づこうとして努力していたことです

その結果パーニャーパラーミタという無限の知恵を得て悟りを開き
多くの人たちを救ってきました
釈尊は、周辺諸国の国家運営のアドバイスまでしていたようです

ここで言うところの「価値」は「真理価値」です
神仏から観て価値有ると思えることです
この価値は「与える愛」から生じます

その人生の生み出している所業(商品・サービス・子育て・日常の作業)に
どれだけの愛が込められているかによって、神仏からの評価は決まるようです

純粋な愛の込められた仕事は、必ず「価値」を生むようです
釈尊という存在を地上に降ろしたエルカンターレが
今、大川隆法という存在を下ろし愛の教えを広げています

この愛から生まれる価値を見ないならば、見れないならば
どれ程もったいないことであろうか



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