陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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考え方の基本

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この質問に対して
死後の世界が有ろうと無かろうと自分自身の考えは変わらないという答えを聞くことがある

そのたびに不思議な感覚を覚えてしまう
何であっても前提条件が変われば違ったものになるのは当然だと考えているからだ

しかし、次の図で考えると、確かに世界観に違いが有ろうが無かろうが
行動と結果に違いが出ることをイメージしずらい面がある
深く考えるということは難しい

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そのせいなのか、私は時々、極端な逆説を持って来ることがある

例えば、山の中で火を焚くことがある
山火事のことを考えれば非常に怖いことだけれど、ただ心配ばかりをしていてもきりが無い面もある
その時に、考えるのだが
この火を使って山火事を起こそうとするなら、自然の力を使ってどうすれば可能だろうか考えてみるのだ
自然の力で火に関わる要素は、風と燃える材料だ
急に強い風が吹いても火を大きくすることが不可能な状態であれば大丈夫という判断をする
風で火が飛ばされる場合や燃えるものが飛ばされてきてそれに火がついてよそに移ることを想定してみる

結局、近くに有る燃えそうなものを熊手で集めてしまう事
それまでに、燃やしている場所を広げ地下茎に有る燃えるものを燃やし切ってから火の面積を小さくする事

山火事を起こさないようにするには、人の意思が絡まない限り不可能な状況までもっていくことになる

水で火を消すべきだという考えもあるが、
その時は消えたと思っても風が強く吹けば
燃え残りが有ると火は簡単におこることがある
その火が地面を這えば簡単に山の中に火は入ってしまう

私は、死後の世界は有ると信じているが、もし逆だったらどうだろうと考えてみるのだ

死後の世界が無いのなら
死んだら終わりで
当然、神仏なる存在も無い
ということは、神社や仏閣、教会など
人の気休めで造られているものでしかない
宗教などマルクスの言うように大衆の麻薬でしかない
麻薬患者のようなものなら
そんなシャブ中の連中が政治に関わるなど持っての他である
そんな連中の団体が数を結集して政治勢力を持つなど阻止するべきだ

宗教が資金を集め力を拡大するのを防ぐ必要がある
宗教など葬式の時に縁が有ればよいだけなら
葬式屋が有ればあ良いだけで
これだけの数の宗教施設など不必要である
打ちこわするべきだ

宗教に関わるなど論外であり
まして、戒名とか言ってあの世で使うとかいう名前に高額のお金を払う必要などない

寺社仏閣、教会などの存在など不必要だということになる

しかし、考えれば考えるほど
それが正しい世界とは思えない

目に見えな不思議な世界が有ることを誰でも理解はできるはずだ



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