陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-06-18

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カルト科学信仰

二つの点から考えても、地震、津波のプレート反発説はとんでもない説だ
カルト信仰以外の何物でもない

原因が何であろうと
地震や津波による被害に違いが無いのでどうでも良さそうに思えるかもしれないが
とんでもないことだ


原因を間違って認識するなら
当然、結果に対する対処も違ってくる
悪い結果が起きていることに対する対策が的を外れてしまう

一番問題なのは、対処方法というよりは
その心の態度なのだ
その心の中のイメージが問題なのだ

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カルト宗教には様々なものがある
しかし、宗教が全てカルトで有るわけもない

それと同じように
科学も全てが正しいわけではない
科学信仰という中にカルト科学もある
本当は、何にも理解できていないのに
世間で常識的に取り扱われているために
皆が信じ込んでしまっている考えが有るのだ

無知の知」という認識なく信じ込まされている認識が有る
良い認識(子)普通の認識(子)悪い認識(子)がある
確認できている認識と確認できていない認識、聞いたことが有るレベルの認識

このフラクタルの森的に言うならば
現実の認識    世間の常識(正しいものも、間違ったものもある)
事実の認識    現実に起きている事
真実の認識    その因果関係も含めての認識   
問題なのは、常識的に信じ込んでいることが間違うと
事実も真実も間違ったものとなる

真理の獲得まで行くべきだろう

カルト科学(宗教)信仰はそれにあたる
何が間違い、何が正しいかは
頭の良さで決まることではなさそうだ
最近の科学信仰の間違いを観ても、左脳的な頭の良さだけでは決まらない
どうやら、右脳的な頭の良さが関わっているように観える

真理の獲得
ただ、これは難しい
しかし、今、幸福の科学で宇宙的救世主である存在が教えを説かれている
それを信じて受け入れることが出来るなら
現実、事実、真実に至る階梯を確実に上っていける
悟りに至る道は険しいけれど
まず、信じることだ
画像の説明

かくいう私は、なかなか信じることが出来なかった
不思議な体験は沢山あったので霊的世界は有ると思っていた
ただ、心の教えの部分など霞がかかってて、なかなか入らなかった
その霞を払うために、繰り返し「なぜ」を繰り返すことになった
結果、観えてきたのは「神」の視点だった

そのなぜの繰り返しの延長線上でできたのが、このフラクタル陰陽学

二つの目で見て二つの脳で考える

クロスした十字架の中に神なる視点が有る

画像の説明

思い(イメージ・設計図)を変えれば行い(具体化)も変わり結果も違ってくる

画像の説明

全ては、陰・ヨコ軸(右脳的要素)陽・タテ軸(左脳的要素で成り立っている

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