陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-05-09

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必然

備前焼は
釉薬もかけず、ただ粘土で形を作り薪で焼き上げる
とても原始的な器ではあるけれど
こんなシンプルな器であっても
誰かが生み出そうと思わない限り
存在することはない


思うこと、この不思議は
突き詰めて考えるなら
全ての存在そのものの原点ではないのだろうか

身の回りの便利なモノ達
どれを見ても思いが積み重なり具体化されてそこに在る

全てはフラクタル
部分は全体と相似形を成している

我々が思いと行い(具体化)で製品を作り
我々が思いと行いで人生を造っているように
神も思いの力でこの世界を創っているのだろうか

そもそも神の 思い無くこの宇宙は存在しないのかもしれない

偶然とは、便利な言葉ではあるが
偶然に生まれてきたモノなどありはしない
偶然に出てくる算数の答えも
偶然に出てくる化学反応も
有りはしない

偶然とは因果関係が判らないというだけの事
全ては必然なのだ

世界は、目に見えないモノであふれている
無知の知を知らず知識人を演じる人達の多さよ
神は、それを見てどう思われるだろうか



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備前焼