陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-12-13

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陰と陽

目に見えにくいモノと見えやすいモノ

ハッキリ言って、左翼思想に引っ張られリベラル傾向をもつ人は
見えやすいモノばかりを見て考える傾向が強い
深く考えることが出来ない人たちだ


意外なことに、こちらの傾向のある人たちは学業が優秀な人も多いのだ
これは、左脳的には優秀だけれど
右脳的には、ダメな人も多いという事
勉強をし過ぎて頭が固くなっているとも言える

また、左脳的に知識を積み重ねるために
前に入れた情報を加工したり入れ替えたりすることがしにくくなっている
要するに、自分の中で積み上げた常識が岩の如く存在してしまう

人が知識を集め認識力を高めていくためには
基本、このパターンで繰り返し循環させるしかない

では、右脳的な所を鍛えるために何が必要かと考えると「経験」なのだろう
人時所を変えた経験
同じ課題、テーマでも経験には何種類の経験が存在する

単純に想定しても、同じ課題に対して受け取る判断と決意には違いが有り
その多様性を本質的に理解できるかどうかにかかっている
これが、その人の奥行や深みやに関わりその人の悟りのレべルとも関わるのだろう

右脳的に考えるとは
次の図の論理的に考える時の主体を固定した位置から離れて多様な視点から考える事が出来るかどうかだろう

画像の説明

また、主体を変えて見るだけでなく
時間と空間を変えて見れるかどうかが大きな問題としてのしかかる

人を変えて考える事が出来たとしても
その時間と空間、要するに世界を見るにしても
目に見えてはっきりしている世界は見えるとしても
見えていない世界については、難しい面がある

ここで、左脳的に固まっている人は
科学的ではないことを理解しながらも思考を停止させ
自分が知っていて理解できる時間と空間の中だけで考える為に
左翼的、リベラル的な考えになってしまう

そして、目に見えない世界を想定することを非科学的と決めつけて排除する

本来持っている神仏の子としての悟りの部分が
単なる優しさとして表面化して
左翼的、リベラル的な考えになる

基本は「優しいのだ」
ただ、全体を立体的に観る能力に劣るために狂った判断をしがちになる
そこで、生まれて来たことわざがこれだ

「地獄への道は、善意で舗装されている」

共産主義、社会主義、リベラル傾向を持つ人たちは
自分たちの優しさから出て来る考えに心酔しそれに対立すると思われる側を攻撃する

社会的弱者を守りたいとして
社会的強者、富裕層からその資産を取り上げて分配しようとするが
富裕層を攻撃し貧困層の方にお金が回るようにしても
金持ちに対する嫉妬を正当化させ、その努力を正当に見てあげれず
低所得者層に肩入れすることで、甘やかすことにもなり
彼らの自助努力の精神を傷つけてしまい
いつまでも政府の力に頼ろうとする依存心ばかりを育て良い未来が始まるわけがない

皆が裕福になっていくためには、自助努力の精神で頑張る人たちが居ての事だ
頑張る人に制裁を加え
頑張らない人に与えてばかりいて全体が裕福になることは無い

一番問題なのは、この形を悪魔が利用しやすいことだ
悪魔と言うと真実味が無いが、この構造は
悪意を持ち、自分の勢力を広げようとする者にとっては好都合なことだ

自助努力で頑張り成功した人よりも
頑張り切れなかった人の方が圧倒的に多いことで
これらの人を味方につけると大きな勢力となるし
難しい理屈を理解させなくても簡単に扇動に動いてくれる

この構造が、世界を悪い方向に向かわせる

どこかで、ブレーキをかける事が出来なければ
本当に思い知る事態がやってくる
あの世の地獄だけでなく
この世の地獄がやってくる



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