陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-11-27

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「信用」ということ

この言葉には、とても重いものがある
私の陰陽学の根幹をなすといっても良い言葉だ
何故かというと、全て、有りとしあらゆるものの
価値の背景にある要素だからだ

画像の説明


陽の要素である表面に浮かび上がっているモノ
一番気になる成果、結果を支えてくれている要素だからだ

あらゆるものの価値はお金に換算する事ができるけれど
そのお金自体の価値も信用を無視することはできない

もちろん、信用と言ってもその中身に違いが有る
信用にも単なる思い込みの部分もあり
悪い思想を背景にした信用も有れば
良い思想を背景にした信用も有る

悪魔からの信用も有れば
神からの信用も有る

どんなモノにも良い子、悪い子、普通の子が有るのだ

結局は、その信用を与えている人たちの心がどこに住まいしているかで違ってくる
誰でも自分の持っている価値(信用)基準が正しいとして考え行動するわけだが
自分自身の心がどこに住まいしているのか判らないのが現状だ
多くの人が与えた信用で社会は舵を切られそこに向かって行く

社会が悪くなってきているなら
多くの人の信用、価値基準が間違っている証明でも有る

このコロナ騒動にもアメリカの大統領選挙の選挙違反の混迷にも現れている
日本の景気後退にも中国の世界制覇の野望を許していることにも
全てに現れている

政府や自治体がやっている財政出動にも現れて
いま、お金がいっぱいばら撒かれているけれど
そのお金の使い道にどれだけの信用が有るか考えているのだろうか

MMT論者は、自分たちの影響もあって市民にお金が配られていると納得しているようだ
お金の使い方は、個人レベルでも家庭レベルでも
企業レベルでも、とても難しい事は、誰であっても知る所だ
その価値判断なく使われているとすれば逆効果になることも知っておくべきだ

その判断をインフレ率で見るのは、違うと思う
インフレ率で信用を図る事ができるとでも思っているのだろうか
MMT論者は、その愚かさを知るべきだ

三橋貴明氏達が言うように
政府は、目先の財政バランスだけで緊縮財政するのも問題がある
価値(信用)ある使い方がされるなら問題は無い
ただ、数字を中心に見すぎていている事で間違いを犯している
左脳的な優秀さだけで右脳的な深く考える事ができていないようだ

その信用を考える時に
神からの視点があるかどうかにかかっている

これ無くして、未来は無い

神からの信用、
創造主からの信用を得られるような財政出動が為されるなら
そこにつぎ込まれた資金は、更なる仕事をする
陰陽で良い循環が起こり始めるからだ

創造主の願いを政治の世界で実現する事は難しいだろう

政治経済を支えているのは
思想宗教であるのに
現代社会は、宗教が隅に追いやられ
間違った宗教観が広がっているからだ



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