陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-11-26

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全ての悪の原因は、ここにある

次の図の左側の認識だ
画像の説明
唯物論、無神論である


多くの人が、右でも左でもなく中間で漂っている
私自身のことを思い返してもそうだった

あの世が無いということは無いだろうぐらいの認識だった
それ以上深く考えることはなかった
神なる存在や創造主たる存在など考えることはなかった

自分を中心にしての価値判断で世の中を見ていたことになる
客観的に考えるにしても、あくまでも自己の価値観が主体だ

もう一歩進めて考える事なく生きている人がほとんどだろう
それであっては、本当はダメなのだ

あの世があるか無いかは、どちらかでしかない
その判断をせずに生きているなら刹那主義とも言うのか
浮草のように流れに流され行くだけだ

死後の世界があるなら
霊界があるなら
神なる存在もある

神の願いが奈辺に有るのか考える事なく生きることの虚しさを知るならば
それ相応の生き方があるだろう
神から見た善悪の判断も出てくるだろう

もしも、あの世が無いのであるなら
死んだら全てが終わりを迎えるのであるなら
それ相応の生き方をするべきだろう
中途半端な偽善はけしからんことだ

中途半端な所で生きていると言うことは
動物性のままで生きていることにもなる
家畜の如き存在でもある

人間と動物を分けるものは何かというと
「信仰心」が有るか無いかだ
信仰心があると言うなら
神近き存在へと努力し向上していくことだろう

幸福の科学に入会を許されてのちも
わたしには、信仰心が無かった

いろんな方にこの図を使って伝道しようとしているが
本当の意味での信仰心が出来たのはいつの事だろう

未だ、本物では無い可能性はある



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