陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-06-28

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「孫を持って知る 神の喜び」

初めて子供をさずかり
子育てをして親の苦労を体験すると
「子を持って知る 親の恩」と言うことわざが浮かんでくる

そして、子育てをしながら、信仰の世界で学び続けると
「子を持って知る 神の願い」というイメージが浮かんでくる


現実には、無我夢中での子育てで
深く考えることは出来なかったけれど

今度、孫が出来て
孫を抱いて今までの事を振り返り
孫とその両親の未来を考えると
冷静に客観的に見ることが出来る

どんな子に育つだろうかという期待
どんな子に育つのか分からないけれど
それらすべてを飲み込んで育てて行こうという決意

健やかでより素晴らしくなって欲しいという願い
自己中で醜い心にだけはなって欲しくは無い
世間から注目されるようなことが無くても
暖かく明るい人格になって欲しいと

生活に追われ日々の忙しさに流されながらも
その存在自体のありがたさに意味が有り
他者の存在に愛を注ぎ込めることの意味
愛を与えることが出来る幸福がある

創造主がこの宇宙を産み出し、生命体をイメージし
星を作りシステムを創る時の想いにも似た感覚が
おそらく有るのだろう

粘土で作品を作る時もいろんな思いがよぎる
より良きものとなれ
より素晴らしきものとなれ
窯にて焼き上げられるときに不都合なモノも生まれるけれど
この産み出し育むことの幸福は
何事にも代えがたいモノが有るのだろう

また、森に手を入れ整備しながら植物たちを観ていると
それぞれが、それぞれの個性で勝手に生きようとしているのだが
雑草として処理される草にも意味が有り
自と他と全体の視点で見ると大調和の中にあることが見える

その管理をしている自分と
他者である植物や動物、昆虫や微生物たち
そして、全体を観ている神なる視点で観ると
全てがつながり一本の線上に有ることも見えてくる

時に立場の違いで相争う事があっても
それを大きな目で見ている神なる視点がある事を忘れてはいけない

「孫を持って知る 神の喜び」
このイメージが、無条件での孫の可愛さという感覚に投影され
神の期待に答えるべき使命が我々人間には与えられているようだ

神の期待に答えるべき使命が我々人間には与えられているのだろう
神の願いと私たちの願いが重なり同調できますことを切に願う



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