陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-05-19

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フラクタルの森での考え方

両目で観る・・・立体的に見るために
他者と自己  
画像の説明
原因と結果  
画像の説明
感覚と知覚
画像の説明
  
比喩で観る・・・はっきりと見えるようになるために
人体の構造  自然の摂理、法則  車の運転 

大自然での水の循環をみると
雨は山間部で多く降り順次大地を潤しながら海に流れていく
その雨を水田や畑に必要だからと言って平地にばかり降らせると
すぐに海に流れ出し飢饉が起こりやすくなる

人の血液も末端までしっかり流れるためには
体を動かし筋肉を動かさなければならない
そこに出る老廃物や処理しなければならないものをリンパ管などで処理してくれているが
リンパ管は、自分で運ぶ能力は無く
筋肉の収縮運動がポンプとなって運んでくれる

下水道がうまく機能するためには、上水道がうまく機能している必要がある

福祉や社会保障に力を入れすぎると水や血液の流れが悪くなる
それらを支えているのは、経済(GDP)の力で有ることを知るべきだ

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深く観る・・・根本の原因を見つけるために
どうしても表面に浮かび上がっているモノ
結果で見てしまいがちですが
そこに至る過程をたどっていくと途中でストップさせています
「なぜ」を何度も繰り返し
無知の知」を認識できるところまで掘り下げる必要が有る
結局、色んな考え方、意見の違い、個性の違いは
どのような思想宗教を持っているか、はっきり言えば悟りに関わってくる

左脳的にだけ優秀な人は、その知力の反動で
深く掘り下げることなく、この「無知の知」を知らない
それが原因で、世界を混乱に陥れるような判断をしてしまう
結局は、悟りそのものを理解できないでいるからだ

そのような人ばかりが、リーダーを務めるような世界になり
そのピークが来ているために政治も経済も軍事も宗教も混乱する

世界が物理的に小さくなってるのと同じように
人間もその魂が小さくなっているからだ
世界を小さく見るように、自分自身も小さく見るようになったようだ

要するに、人間とは
神仏の子である偉大なる存在、本当は大きな器であるのに
自分を小さく見るように、他人も小さく見て
自己中の人間が増え過ぎている
自分を中心に見る事しかできなくなっている為に

肉体の中にがん細胞が出来るように
世界が病んでいる

アクセルとブレーキの踏み間違いで事故が多発しているように
経済も間違え、世界中で事故が増えている
この間違いに気づけなければ、いずれ大事故も起きるだろう

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