陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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フラクタルの森の考え方

基本は、陰陽ふたつの考え方から始まります

言葉の中にも陰陽が有り
言葉の意味を深く見ていくと
言葉は、3つの要素に分かれています

いつ・どこで というように
時空というか、背景というか、世界が有って

その中で主体なるモノと客体なるモノが有り
思いと行いで色んなモノが形を成していきます

イメージしてもらうなら
目の前にお茶碗が有るとします
器の中に思いと行いが入っているということ

その器は、思うことと行うことで
目の前に存在していることになります

シンプルに見るなら、全てがそうなのです

おそらくすべての存在の始原は神の想い(思い・念い)に始まるのでしょう
次の言葉の構造ですら神の想いが背景に在るのかもしれません

根源的な所は、とても想像すら難しいのですが
身近に在る全てのものを観ていると次の図に全てが関わってくるのです

世界があって
思いがあり
具体化されている

画像の説明


世界中で昔から言い伝えられている言葉が有ります
「宇宙は、陰と陽の要素で成り立っている」と

粘土で造られる器であっても
思いが有り具体化されて作られます
星であれ銀河であれ
この無数の銀河が何兆個も有ると言われている大宇宙ですら
おそらく、神の想いが有って出来ているのでしょう

この世界と思いと行いを正しいモノで埋めることなく
理想的なモノを手に入れることは無理です

それぞれの「人生」を課題としても
①その人の宗教観(世界観)を背景とした人生観があり
色んな課題が目の前に現れ
②その解決のために判断し設計図を描きながら具体的な行動に移し問題解決を図っています
この個人的な対応が社会レベルで重なりあい
国家レベル、地球レベルでの成果となり
未来社会を創っているのです

単純に言えば、これが全てです

ただ、見えていないのです
②の中にも、見えにくい設計図(思い)の部分と
表面に現れる具体化(思い)の部分とが有りますが

一番見えにくい①の部分が有ります

見えている部分は、試行錯誤を繰り返し結果につながっていきますが
多くの場合、見えにくい思い(設計図)の所の修正はしにくいのです

更に①の思想の所は更に難しい

無神論・一神教・多神教・至高神
様々な思想が有りますが真理は一つです

深く考えるという文化を醸成する必要がある



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