陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-01-18

Top / FrontPage / 2019-01-18

企業の目的は利潤追求ではない

「企業の目的は、利潤追求である」という認識が
大変な間違いであることを知る必要が有る

世間では、目的と手段が間違っていると認識されることがあるが
フラクタルの森に入れて考えると何をどのように間違えているのかが分かる
この間違いが色んな所にも影響しているのです

画像の説明

一言で言えば、陰と陽の両面を見ていないと言うことになる
陽の結果における利潤しか見ていないことで
その認識が多くの間違いを引き起こしているのだ

財務官僚や政治家、経済学者の愚かさの原因にもなっている
画像の説明


目的と手段という分類だけでなく
目的と目標という違いの認識が大切なのだ

目的(陰)は、少し抽象的ですが一番大切なマインドの問題です
目標(陽)は、具体的でありビジュアル化、数値化出来るモノでありスキルの面が有ります
目的が紙の裏面にあって目標が紙の表面にあるのです

誰もが好きな1万円札で言えば
表面には数字が書いてありその数字が力を持っています
裏面には何が書かれているかといえば
それを表現するようなモノは見える形で書かれているわけではありませんが
なぜ、この1万円札が価値があるのか深く考えるなら
その見えないモノが見えてきます

裏面にあるのが、「信用」です

経済評論家の三橋貴明氏を尊敬し多くを学ばせて頂いていますが
この部分を彼は見ようとしていないことだけは残念です
信用という言葉を使いながら、この言葉は使いたくないと言われるので
一度講演会で質問させていただきました
「信用」という曖昧な答えを使いたくないというのです

抽象的であり曖昧かもしれませんがとても重要です

信用という見えない価値を支えている存在は様々あります
仮想通貨のように利便性はあるのでしょうが、
その価値を支えているのは人々の欲望です
欲に目が眩んだ人達が支えてくれている価値など簡単に崩れてしまいます

株式に関してもそうです
株価を支えている信用には2面あるでしょう
その企業を応援したいというマインドです
もう一つは、欲を背景にした投機的な投資です
後者が多く強くなってくると大問題でしょう

お札などの通貨も、それを発行している政府や中央銀行、それらを支えている国民
その人達のマインドやスキルが狂ってくるとその通貨の信用は落ちてきます

確かに曖昧ですが非常に重要な部分です

「お金」だけでなくあらゆるモノがこの「信用」と言うことで裏打ちされているのです

この「信用」と言う言葉をとことん突き詰めていくと「信仰」とも関わってくるのです
この信用を支えてくれるのは良識ある人達です

その良識ある存在の究極には「神」なる存在があるでしょう
神様から見て最大の信用を受けるようなモノであるのなら
その価値も最大です
最強です
時間を超え空間を越えて広がっていく可能性があります

曖昧、抽象的な極みまで行くと「悟性」の中心部分まで掘り下げることになります
底まで掘り下げなくても、せめて、両面を見る必要が有るのです

企業(仕事)の目的は何かという課題に戻って考えます

一番分かりやすいのは、その事でその継続に一番大切なことを結果の中に入れます
収益、利潤、儲けと言ったモノが無ければその仕事を継続して行くことは出来ません

「どうしたいのか」の所には、より具体的なモノが入ります
目に見えやすいモノを入れる必要が有ります
数字であったり具体化されたビジョンです
企業(仕事)であれば収益、利潤、儲けです

「どうやって」の所には、手段であり方法論でありそれぞれの業務があるでしょう

「なぜ」の所が問題です
ここは、目的であり曖昧な部分です

多くの人達の間違いは、ここに表面的に一番関心があることを置いてしまうのです
結果に入れるべきモノを置いてしまい
結果主義的なマインドを造ってしまいます
これが色んな視点を狂わせ色んな部分にまで影響し社会を狂わせてしまうのです

財務官僚などの狂っているとしか思えない判断はこのことが背景に有るようです

「企業(仕事)の目的は、顧客(社会)貢献であり、結果の目標として利潤追求がある」

間違えても「顧客(社会)貢献」を事業をやりやすくするための方便として手段の所に置いてはダメです
最悪です
良きことを小手先で使うようなことをマスコミ初め
頭脳的に優秀な人達はうまく使います
福祉や社会保障という考えの中に巧妙に入り込んでいます

「顧客(社会)貢献」とは曖昧ではありますが
言い換えるならば、これは「愛」です
幸福の科学で言われている「与える愛」です
これが設計図であり
本来であるなら「なぜ」の中心に置かなければなりません
マインドの中心にその純粋なモノを置いて
そして、独りよがり、自己満足で終わることなく
具体化して結果として示していく責任、義務が
全存在の中には在るようです

与える愛の対極にあるのが奪う愛と学ばせて頂いています
「顧客(社会)貢献」を手段・方法論で使い
結果のみを求めるようになっていくのが、地獄世界にも繋がってしまう「奪う愛」です

与える愛がマインドの中心に在って全勢力をつぎ込みながら利潤を上げ拡大させ再生産して行く使命があるのです

本来は、神に代わってこの地上世界で理想社会を創造するべき使命があるのです
神が願われているような世界を地球全土、宇宙全体に広げていく必要があるのです

話はよけいなことですが、
宇宙がいまだに加速度的に膨張している事が観測されています
ビッグバン理論では、加速度的に拡大のスピードは落ちていくはずなのに
宇宙の規模は拡大し加速度を増しながら膨張し続けているのです

神の願いはそこにも現れており
全宇宙、全存在の中に秘められている秘密なのかもしれません



コメント


認証コード(1028)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼