陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-07-29

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政治と宗教

政教分離」ということが言われることが有り
「幸福の科学」という宗教団体が
「幸福実現党」という政党を立ち上げていることについて、否定的な意見を述べる人がいる
「創価学会」が「公明党」を維持しているという現実が示すように
宗教が政党に関わってはいけないということではない

しかし、深く考えることの出来ない人たちは、
政教分離の本質的な意味は違うところに有るのに
政治と宗教が一緒になってはいけないと思いこんでいる

知人に「幸福実現党」の政策には共感できるが
宗教には違和感が有るので応援は出来ないという方がいる
「宗教」ということの翻訳にある種の思いこみが有るせいだろう事は理解できる

私自身も「宗教」というキーワードに昔は拒否感を持っていたからだ

その原因は何だったかと思い返してみると、その隣人の言葉にも有ったが
創価学会に原因が有った

私自身、今、「宗教」という事の翻訳は
「一つの思想であり、目に見えない世界を含んだ世界観」と見ています
フラクタルの森で示すように政治経済、政党を見るのに陰と陽二つの視点が必要です。
どんな世界にも政治経済を支えている思想宗教が必ず背景に在るということです
「政党」にしても、それを運営している人たちに思想なるモノが無いわけではありません
必ず何らかの精神性を含んだ考え方が有ります

「共産党」などは、その精神性は何かというと「マルクス」の「資本論」や「共産党宣言」なのでしょう
それがどんな物かというと、目に見えないモノを見ようとしない
どちらかというと「宗教」を否定した考え方です
結局「無宗教」、ようするに「唯物論」という世界観を背景としています

同じ精神性を背景にした政党は、中国、北朝鮮、カンボジアのポルポト派など有りましたが
これらの「共産党」は、逆説的な言い方になりますが
悪い意味での政教分離ができていない社会です

それは、他の思想宗教、自分たち以外の考え方を排除してしまうからです。
それらの国では粛正という嵐が吹き荒れました

宗教が政治と一体となり
独善的な判断で他の考え方を排除し弾圧などすべきでないということが本筋なのに
まさに「共産主義」という精神性を背景にした国では
「無宗教」という考え方が他の宗教を弾圧しているのです

その理由は、この「マルクス教」という「無宗教」は、今世界で紛争の耐えない「イスラム教」という「一神教」よりも、もっと過激な一神教の要素を含んでいるからです

世界中で起きている宗教対立の中心を成しているのが「一神教」ですが
イスラム教やユダヤ教、キリスト教には、まだ、自分たち以外に客観的な立場の「神」が存在しますが、無宗教では、どうしても自分たちが神になってしまいます
本来、主なる存在はあるのですが、無宗教では、主なる存在は自分です

仏教でも本来、釈迦だけでなく諸如来諸菩薩と言われるように
多神教の宗教ですが、日蓮宗のように、どちらかと言うと一神教的な要素の強い仏教も有ります
どうしても紛争を引き込んでしまう考えになりがちです

これは、人々の理解不足が原因に有るようで
一神教と言われているようなイスラム教でもコーランの中ではアラーだけでなく神様を複数形で表現されている部分も有ります
これしかない、この一つだけしかないとした方が分かりやすいし
みんなの思いを一本にまとめやすく行動原理に力強さを持つから
どうしてもそのようになってしまうのでしょう。

表面的な部分だけで見ることなく
自分自身の思想がいかなる物であるのか、本来の真理とはいかなるモノであるのか
深く考えることなく判断し行動していると愚かさの中にいることが有ります。

精神性無く、信仰心無く、政治経済を扱うなら獣の世界となってしまうでしょう。
弱肉強食の世界です。

まさに、今、中国共産党は、その真っ直中に居るのでしょう。



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