陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-06-03

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なぜ、判断は分かれるのか

パンデミック条約に関しても意見は大きく方向性を分ける。
世界の政治でも考え方は分かれ、それぞれに非難をし対立する。
細かくは、色んな意見が有るだろうが、大きく二つに分けることが可能だ。


賛成する意見と反対する意見。
WH0という組織、それが進めているパンデミック条約、これに大きな疑念を抱く人たちと、NHK、大手メディアなどのように、反対する意見を偽情報として排除しようとする側もある。
私は反対の意見であり、そもそもコロナワクチン接種に対しては懐疑する側であり、なぜ、多くの人にはそれが分からないのかと不思議に思って居る。

何故だろうと常に思うことだが、考えてみれば、霊的世界観の死後の世界に関しても根強い対立する考え方があることと同じのようだ。
唯物論、無神論と唯心論、有神論の対立がある。
全てのワクチンに反対するモノではないけれど、本来、神から免疫力が与えられているという面と、人間知でそれにどどのようにして対応すべきなのかという面と二つの視点が無ければ、狂った考えを入れてしまう可能性が有る。
この世が修業場として与えられている世界であるために曖昧な中間的な判断に迷うようなことも有るだろう。
ただ、その道の選択は、向かう先を決めてしまう。違ってくるということ。どちらが天国へ、どちらが地獄へ。
おそらく、中間点も有るかもしれないが、オンザエッジということも有るように中間点でとどまるようなことは無いだろう。どちらかに倒れてしまう。

意見の違いの根本原因は、この世界観が起因しているようだ。
この違いは、ハッキリ言って科学的証明は不可能であり、信じるしかない。この信じている度合いに応じて、現実に起きていることの評価や判断にも違いが生まれる。

仕事

世界観の違いの上に渦が起き、その渦巻が天に向かって登っていくか、それとも、地獄へ向って進んでいくのか。
4つの要素、左脳的なモノと右脳的なモノをめぐりながら推移している。
同じ結果、要するに理想としている成果をそれぞれに求めているのだが、唯物論、無神論ではどうしても結果に、それも目先の結果に振り回される。
「なぜ」という問いかけ自体をしにくくなり、結果に直結することを選択してしまうようだ。

幸福の科学の「愛・知・反省・発展」の教えの直訳ではないけれど、この何を・なぜ・どうやって・どうしたいに関して、この4要素の充実が不可欠だろう。この4象限は、全ての存在の循環の中にも有るように思う。
その為には、「正しき心の探求」が不可欠だと言われているように、正しき世界、その「世界観」が真理の上に在ることが求められている。

結局は、神がこの世界を創造された意味とその内容を知ること。
神のその心を探求する事無ければ、どんな愚かな判断をしていても気が付くことは無いのだろう。
左脳的に優秀なだけの人には、その危険性が強く含まれている。
この世でエリートと言われているような人たち、財務官僚など、その典型のような気がする。



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