陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-03-26

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グローバリストの本質

グローバリストたちや、それに協力したりして同調している人たちの特徴は、ハッキリしています。
世界が二分されている事とも関連しますが、唯物論・無神論の考えと唯心論・有神論の二つの極があり、そのどこら辺りに各人の意識が有るのかということが関係しています。


何となくでも神仏の存在を意識している人たちは、反グローバリストたちです。神仏や信仰のことを口にしていたとしても心の中で信じていない人たちは、グローバリストの側に立っています。
要するに、心の中に神仏の価値観があり、その価値観に照らそうという意識さえあれば、グローバリストたちのような今だけ金だけ自分だけという考えが出にくいのです。
いつも出しているタテ軸の思考図で考えれば解かることですが、神仏を少しでも信じておれば、心の中で起きている思いであり、動機が何であるかに対して敏感になります。それに反して、神仏の価値観が入り込む余地のない自己中で利己的な人たちは、動機が何であれ、行為と結果に対する執着が強くなります。動機がどうであれ得ることの出来る成果が最重要なことになります。その結果、他者の受ける不利益に対して鈍感になります。

仕事

その結果は、自分が、自分たちが描いている理想が一番大切であり、その理想を世界に広げようとすることで全体主義になります。その理想が、神仏の存在が少しでも心の中にある人々は、神仏の理想に近くなろうとします。

要するに、神仏の理想に近づこうとしている人々と、そうではなくて自分たちの理想に近づけようとしている人たちとに分かれているということです。この違いは微妙に違いますが、はっきりと方向を分けてしまいます。

大川隆法総裁の教えにも有りますが、死後、天国と地獄、どちらに行くことになるのかを何がきめることになるのかということ。
《世界は自分のために在るという思いで生きていると地獄、自分は世界の為に在るという思いで生きていると天国》
《奪う愛で生きると地獄、与える愛で生きると天国》
要するにグローバリストたちに組していると悪霊悪魔に支配され死後は地獄という世界に住まうことになるということです。
今、世界中で半数以上の人たちが地獄に落ちていると言われる。その勢力が半数を超えているなら、当然、地球環境は悪魔の思って居る方向に向かうことになるでしょう。
神仏は、強制力を持って方向を変えようとされないでしょう。この地球が心の修業場である以上、各自の自主性に委ねられるけれど、悪霊悪魔たちは違います。強制力や陰謀を以てしても自分たちの理想に近づけようとします。

結論として、人々は心の中に神仏のかけらであっても住んでもらうべきです。本質は、人間とは、神仏の子であるからです。



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