陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-03-24

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電波、霊波、念波、思念、放射線

色々表現されるけれど、どれも同じようなものかもしれない。
私たちは、意識しようがするまいが、その波の中を泳いでいるようなものだろう。


一番大きく強い波は何だろうかと考えると、この目に見える宇宙を形作っている波だろう。この宇宙という存在、星雲や惑星を生み出している波が有るだろう。どのような波であるのか明確に分かるものではない。
創造主の思念であるのか分からないけれど、ただ物質として存在しているだけではないことは理解しておくべきだろう。

マクロ的なモノから離れて、個人レベルでのことをイメージし、思い出すのは、今まで出会った霊的な人達が口にする言葉である。電波だけでなくそれ以外の放送局が有るかのように表現されることが有る。そして見られているようだとも言う。そして、語り掛けてくるものがあるという。
その内容は様々であり、天国的なモノも地獄的なモノもあるらしい。
地獄的なモノを拾っている人は、要するに疑心暗鬼と言うべきだろうが、統合失調症と言われている症状が出てくる。

昔亡くなった、親しい友人は、一緒に行動しているときに色んな波を拾い、その情報に言語中枢を委ね語らすことも出来ていた。要するに口寄せということ。それらの情報を敏感に拾っているせいか、祈りというか願い事もよく叶ったりすることとか、偶然に出会ったりしている人が、偶然とは思えない形で出合ったりすることが頻繁に起こっていた。

私自身のことで思い返しても、自分自身が思って居るのだろうが、予感めいたことが良く起こる。マイナスの事でも予感できていたのか、それともそのような波を自分が出しているために同期して引き寄せているのか分からないようなことが起きる。

どうやら、人間の能力の中には、霊波の発信と受信というモノが在るようだ。携帯電話やパソコンの様なものであり、受信することも発信することも出来るようなものなのだろう。
インターネットの世界には天国的なモノも地獄的なモノもある。
どんなサイト、どんな世界にもアクセス可能であり、自らも発信し拡散することも出来るようなものと同じようだ。

人は、どちらにも偏りそれぞれの傾向性を示す。
今、明らかに地獄的な方向に引き込もうとする霊波が強く感じられる。
そちらの方が刺激的であり、つい引っ張られやすく、天国的な波ははじかれやすいのが現状のようだ。
しかし、因果応報ということも有る。原因があり、結果があり、それに応じた報いがある。

この全宇宙に広がって発せられている波は、おそらく天国的な建設的な波だろう。その波に沿って私たちの肉体も造られ、植物も動物も創られ、その関係性も創られている。この肉体や仕組みの精緻さ精妙さを見て考えるなら、そこに込められている思念のレベルが分かるだろう。
地獄的な波から発生するようなものではないだろう。

しかし、今、世界で起きていることを考えれば、政治や国家レベルだけでなく、身近にも地獄を広げようとしているかのような波が押し寄せている。色情地獄を広げようとするかの情報を含んだ波は多い。お金に対する欲望を刺激するような波も多い。そんな波に載せられて流されているのが現代の人たちかもしれない。

その地獄的な波に乗っているのがグローバリストたちである。欲を強くして実際にその欲を手中に収め、更に強くしていく。
仏教で教えられるのが、足ることを知り、そのような欲から離れる事である。その理由は、死後、自身が波だけの状態になったときに、その波は同じ波長の波と一緒になり集まる。その集まりは、明らかに地獄であり、そこに住まうことになるからだ。
この世の幸福とあの世の幸福、これを一致させなければ意味がないだろう。
この世では良い目が出来ても、あの世での本来の住まいが不幸の真っただ中にあるようなことになれば、まったく意味を成さないことは明白だ。



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