陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-02-25

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幸福への科学、陰陽とは

ここでの陰陽とは、目に見えにくいモノと見えやすいモノを指す。
要するに表面に浮かび上がり姿を見せてくれているモノです。


今一度、整理してみます。
何にスポットを当てて見ているかということでもあります。

時間的には、原因があって結果がある
空間的には、他者があって自分がある
そして、人間的には右脳的思考があり左脳的思考があって世界を認識している。この二つで見ることで物事は立体的に見ることが出来る。
結局、両方を認識して両目で見ていなければ、正確な思考は出来ないということになる。

そして、世界を掘り下げて見ようとしても、同じく陰と陽の関係でみるべきだろう。
ミクロの世界とマクロの世界である。
顕微鏡以上のもの、理論物理学を含めた視点で見なければ見えない世界と
マクロの世界、天体望遠鏡以上のものを駆使して見られる世界。
共に限界があるだろうが、努力する価値はある。

ミクロの量子論的には、「波」があって「粒」があるということは常識だ。ここに「量子もつれ」なる現象が観測されて、更に不思議な世界があり得ることが示唆されている。光の速度を超えた現象とか、観測されるという抽象的なことが存在自体に影響を与えるということなど、更に分からなくなってくる。観測されなければ「波の」状態なのに、観測されれば「粒」の状態になって観測さえるという現象もあるらしい。

ただ、量子の世界、素粒子の世界、光の世界などの超ミクロの世界の法則が、マクロの世界にまで影響を与えているだろう。
超マクロまではイメージできくても、私たちが生活しているこの3次元世界にも在るはずである。

要するに「波」の状態があって「粒」の状態がある、この関係は、あの世とこの世の関係でもあるだろう。唯心論と唯物論の関係でもある。
目に見えない波の状態が、目に見える粒の状態として現れる。
生きている人が亡くなると、粒の状態が消えて波の状態となり、霊的存在となり見えなくなる。
しかし、元々波としての存在に戻るだけだということ。
その波の状態では、電波などが自由自在に壁を抜けたり、思っただけで空間移動出来たりするようだ。

宗教的説明、真理の世界の説明を聞いていると、この量子論の説明を聞いているような錯覚をもつ。色即是空、空即是色などもそうだ。

さらにE=mc²のエネルギーと物質の関係をも連想させる。
心の波の持つエネルギーの大きさは、物として、粒として現れているその存在をはるかに超えているということを示してくれてもいる。

結局、宗教的な心の教えが大切なことの意味は、私たちが理解しているモノ以上の重要性を持っているということだ。

心が発する波は、同じ波長の波と共振し、更に強くなる。
その凄さを理解したときに、今、世界中で起きている蛇行現象を説明することになるだろう。

皆の心の統御に関心を持ってもらいたいという気持ちが強くなる。
それが、真なる幸福への道であり、幸福への科学である。 



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