陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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税金を考える

税金にも良い子、悪い子、普通の子がある


善い税金とは
悪い税金とは
普通の税金とは
何だろう

例として考えると
愛にも同じようなことがいえる
与える愛と奪う愛、そして普通の愛だ
「愛している」と言いながら、心の中では全くの別物もある
無償の愛、与えキリの愛、慈悲という愛も有る
執着の愛、溺愛のような悪い愛も有る
ギブアンドテイクの愛など普通でなく悪い愛に入れべきかもしれない
愛という美しい言葉を冠すべきではないモノも有る

税金を同じ尺度で考えたらどうなるだろう

税金の本来の趣旨は、個人や企業レベルで出来ないようなことを成すために国民からお金を集めて代行するようなものだろう
国民には納税の義務が有ると言われ、国民が得ることのできる権利と一緒に与えられている

道路とか河川工事とか国防とか治安維持のための警察とか消防署などが有り、その価値から恩恵を受ける権利もある
ただ、これらの中には民間の企業レベルで出来ることもある
ギブアンドテイクレベルの普通の愛なら経済活動の中での営業も成り立つ

どの事業を国か民間どちらで行った方が良いかという問題と
その為の資金をどうやって集めるかという問題が有る
この課題は歴史の中で色々試されてきたのだろう

どの国も国としての存在が大きなものとなっているように、国が税金を集めて、その中で様々な事業を行うようになっている

結局その為の資金をどうやって工面するかという課題があり、その使い方、活かし方で国としての栄枯盛衰があるということ

どのようにして税金を徴収するべきなのかという課題である

普通の税金は、ギブアンドテイクで良いのだろう
税金の基本は、その国でいろんな行政サービを受けながら収入を上げているということは以上、相応の負担という義務が生まれることになるだろう。
行政サービスに対して対価を払う意味で、所得税や企業の法人税という形が多いようだ。基本は、フラットタックスで対応するべきものだろう。
本来、これだけで良いはずなのに、今どれだけの税金の種類が有るかということだ。

色んな税をつくり、税の仕組みを複雑にしているということはどういうことかと言えば、悪い税金が圧倒的に増えているということのようだ。
泥棒や詐欺や強盗と同じようなことをしているともいえる。

確かに社会に大きな負担をかけるような事業に対しては、特別な税を課して負担してもらわなければならないモノも有るだろう。
社会に対して毒となるようなことに対して、ブレーキの意味での税も有って良いだろう。
しかし、相続税や贈与税など、なんの為に負担する義務が有るというのか。
消費税など、一体何に対するブレーキなのか。
何に対する負担金なのか。

要するに、税とは、アクセルに相当する与える愛の意味が有り、ブレーキに相当する罰則のような奪う愛の面があり、普通の愛のような負担金である。

政治家や官僚たちは、左脳的には優秀なのだろうが、しかし、右脳的悟性感性には劣っている人が多いように見える。その左脳的頭の良さだけで、アクセルとブレーキ操作が優れているとは、到底思えない。

その偏った知性と理性だけで、消費税のような悪魔のような税金を生み出し、史上最高の税収を得たとして喜んで、国民を堕落させるようなバラマキに明け暮れていればどのような国に成り下がるのか考えてほしい。

普通の愛で良いではないか
ギブアンドテイクで良いではないか
与える愛を演出し国民に依存心を植え付けているだけなら、本当のが無い。
左翼、リベラル、共産主義の人たちは唯物論、無神論に毒されている為に前提としている世界観が狂っている。人は、神仏の子であり、神仏と同じ心が中心に有る。その為に、善人で良き人であろうとして優しくあろうとするが、神仏を見ないために、その優しさがゆがんで出てしまう。それゆえに間違った道を造ってしまうのだ。
「地獄への道は。善意で舗装されている」

神仏の心を我が心としようと努力しない限り、優しさは狂い、だれにも益することは無いばかりか、神仏の反対の者に利用されるだろう。



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