陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-08-09

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黒焦げの少年

長崎の原爆投下で亡くなった少年の写真を見た
炭になっていた
死者の悲惨な姿を見るとその衝撃は大きい


これは原爆に限ったことではない
あのアニメスタジオの放火殺人にも同じような光景は有っただろう
痴情のもつれであっても、強盗殺人であっても
その結果を目の当たりにするということは大きなショックを受ける

その結果と同時に、そこに有る「思い」も同時に見ることになる
その結果を生み出した「思い」、その原因も波のように押し寄せてくる
いつの世にも、何故、そのような悲惨なことが起きるのか

戦争なら仕方がないとは言えないだろう
全て、思いが実現しているだけのことである

今、ここにいる、自分の正しさで、人を殺めている
犯罪でもそうだ
戦争でもそうだ
ただ、自衛のためには戦わなければならないことも有る
人を殺める事にも善悪が有るだろうが
ほとんどの場合、肯定されるケースは少ない

しかし、それを隠れ蓑に使い戦争を仕掛けるような人たちも居る
アメリカの起こしてきた戦争はすべてがそのようだ
ロシアに仕掛けた戦争も日本に仕掛けられた戦争も、それ以前の戦争も同じような事らしい
日本が満州に出て行った戦争も、同じ構造が有ったという人も居る
曖昧になってしまう面も有り、悪意を持っている人たちに掛かると始末が悪い

ただ、広島長崎の原爆投下や都市部に対する焼夷弾投下での大量殺戮を見れば、そこに有った思いは想像出来る
軍事施設でなく一般市民の上に落とされた爆弾には、どんな言い訳をしようとも、その数と犠牲を見れば、ジェノサイドとしか見られない
民族浄化、皆殺しにしても良いという考えだっただろう

背景には、当然ながら人種差別が有った
その上に利害の対立である
力も頭も有るような立場の人々の中で、欲の深い人々に掛かると大変なようだ
基本、人は結果を求めるが、その欲が強すぎると、他者から奪う形になる

他者を犠牲にしても自分が得ることのできる結果を中心に見てしまう
真理を見ようとせずに、結果だけを得ようとするところに
いつの時代にもどこの国にも悲惨な歴史は生まれるようだ

本来、神の子としての存在であり、共に素晴らしい世界を創り出そうとするところに、魂の進化が有り、創造主の願いが有ることを信じられなければ、不毛な世界となってしまうだろう



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