陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-08-06

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原爆反対、戦争反対、平和、平和

この時期、世間ではこんな言葉が多く出ている
いままで、それほどは違和感を感じていなかったが
最近、これも結果至上主義で自己中の思いなのかもしれないと強く感じている


自己中で結果至上主義は、欲が深い人たちの考え方だと思っていた
「今だけ、ここだけ、自分だけ、結果だけ」の思いが暴走して周囲に迷惑をかける
自分を中心にした欲の強さが周りの幸福を奪う

当然、人々が求めるべき平和であり、戦争に反対する姿勢では有るけれど
そこに至る努力を無視し、結果だけを得ようとしている感がする

お題目さえ挙げていれば、成仏できて天国に変えれるとか
祈ってさえおれば、良きことが起きて御利益があるとか
とても薄っぺらいモノではないのか

そもそも、戦争はなぜ起きるのか、身近なところから考えてみても
その理由は例外なく「利害の対立」です
思想宗教の違いがあっても、この利害の対立さえなければ争いは起きないでしょう
もちろん、お金だけの問題でなく、考え方の違いで利害は対立を始めます
魂の尊厳に関わるようなことでも対立を始めるでしょうが、この違いで対立をエスカレートさせることは無いでしょう
しかし、実利的な対立が入り込み始めると泥沼に入り込む

過去の戦争を考えても、と、言いましても、正直言って戦争が起きた原因が何であったのか、本当には知らないことが多くあります
その戦争の結果起きたこと、得たこと、失ったことや、その悲惨さばかりが喧伝されて、その印象が強く残ります
どうしても、その結果にこだわり、しかも自分という視点でしか見ることが出来ません
浅薄な見方しかできないこともうなずけます

しかし、いろいろ学ぶと結局は、価値の奪い合いであいです
個人レベルで幼少の時のことを思い出しても、よく兄弟げんかをしましたが、どれもこれも奪い合いです
利害の対立です

歳を重ねるにつれて、相手のことも考えるようになり、それぞれの欲を抑えるようになり争いは減ってきます
しかし、大人になっても欲をさえることが出来ない人たちがいます
それは、どんな人たちでしょう

ハッキリ言って、頭が良く、お金や立場や、力を持っている人たちです
そして、愚かな人達です
何が、どう愚かなのか、それは、神仏の視点、創造主の視点から考えることのできない人々です
神の目から見れば、全人類が我が子です
我が子を苦しめ犠牲にしてまで自分の利益を追求するなど、あり得ないけれど
自分たちを神様にしてしまえば、それらは利用し踏み台にしてもOKということになるでしょう

世界で起きている戦争の背景には、頭のいい人たちで、お金や武力、様々な力を持った人たちの暗躍があるようです
その経過を事実だけを拾い出す努力をしただけで、背後には陰謀が渦巻いていることが分かります

原因を探す努力をすれば、そのような陰謀に載せられて、戦争に協力し
悲惨な結果を享受することは避けられるでしょう
要するに、戦争とは、何者かが小石を池に投げ込み波紋を起こした所で、さらに、誰かが小石を投げ込み、波紋が増幅し、津波のように成ったものかもしれません

先の大戦でも、朝日新聞などは一番戦意高揚を訴えていた新聞らしいけれど、戦後は逆に戦争反対を強く訴えているようです
要するに、蛇行しているのです
考えの中心が自分にあるためです
争いに油を注ぐのも、戦争反対、平和を唱えるにしても、躁うつ病の如く蛇行しているのでしょう

利害の対立、それぞれの正しさを調整する知恵が問われているのだろうけれど、悪魔の波長に耳を傾けているなら無理です
悪魔は、混乱を起こさせ、自分たちの欲が実現する方向へ導くでしょう

悪魔の霊波を受け取るのは、無神論であり、唯物論です
悪魔信仰、要するにバール信仰、快楽信仰、拝金主義となる道は、善意で舗装されていると言われますが、偽りの善意を見破られないとすれば、そこに神はいないということでしょう

正しい信仰が呼び戻されない限り、陰謀は働き続けるのでしょう
今、新たな世界宗教が興っています
これに耳を傾けない人が、あまりにも多いということは、悪い結果が出てしまう事になるのかもしれません



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