陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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宗教と量子論

宗教で論じられる見えない世界を
ミクロの極限であると思われている素粒子の性質から推測すると見えてきそうだ


あらゆるものが陰と陽で成り立っていると言われている
すべての素粒子の持っている「波動」と「粒子」の性質から考えると宗教の世界もスピリチュアルの世界も理解できるかもしれない
要するに世界中が粒と波の性質を持っており、粒子は比較的分かり易いけれど、波の性質が問題である
目に見えている現実の世界には、同時に波動の世界が絡んでいる
波とはエネルギーとも翻訳が出来るようだ
エネルギーが有って物質は存在し、それらの相互作用で宇宙は安定し存在している

自己実現や引き寄せの法則のこともよく話題になるが、波動のエネルギーや種類の違いで論理的に説明ができるかもしれない
全てのモノの中に波と粒の性質が有るということは
思い(波動)が具体的な形(粒子)になっているということでもあるだろう

あの世とこの世の話もある
この世は粒子の状態で存在しているが、あの世と言われる世界は、波動だけの世界かもしれない
臨死体験の話を聞いても、不可思議な理解を超えた世界であり、この世の常識で言葉を使い表現しようとしてもムリがあるという
釈尊の悟りがお経の中に莫大な量が有るけれど、どれも凡人には理解しがたいモノである
思いの波動の違いによって天国と地獄が分かれ、その波動だけになってしまうと、そのエネルギーは明確に働き相いれることが出来ないようだ
地獄に別れは波動は、その特徴が強く働き、昔、地獄絵図で見たような状況になるようだ
絵にも描けない状況であり、その悲惨さを人々に経験させることに忍びなく、釈迦をはじめ世界宗教の始祖たちは、この地上に降りて人々を導こうとされているようだ
思いが全てであり、死んであの世に持って帰れるのは「心」しかないとも教えられている
心を磨く為にこの世は有るという
磨くつもりが、魂をススけさせているのが現代社会が落ち込んでいる状況のようだ

死ぬということは、「粒子」である肉体を脱ぎ捨てて、本来の「波動」の世界に移るということなのだろう
波動の世界と粒子の世界は、陰陽の関係であり、表裏一体でも有るのだろう
肉体という粒子の世界では、波動は見えにくいけれど、武道などで言われている感覚を研ぎ澄ませることが出来るなら、気配を感じたり、殺気まで感じることが出来るという
虫の知らせとか言われるように、だれでも感覚的なモノは持っていて、私たちの周りに充満している波動を感じる能力は有るのかもしれない

死ぬということは、波動だけになり、その存在をイメージすることは難しいけれど、死んだ人は、自分の肉体とか自分自身とか生前と同じように認識していているという

臨死体験の人の情報でも、壁は幽霊のように通り抜けれるし、思えば瞬間的に移動できるらしい
この粒子と波動の世界の境界線には三途の川とか、区切りをつけるようなイメージが有るとも言われる
ただ、波動だけの存在になると同じ波長のものと導通し、共振したり、共鳴したり、同調したり、電波が持っているような性質が現れるようだ

例えば、生きているときに心の中に足ることを知らぬ欲望やら、妬み、嫉み、嫉妬などの波長をいつも出している人が、肉体という縛りを解かれると、その思いは、それ自体が言葉のようになり、行動そのものにもなるという

そのような波長をもっている人たちが集まると、どんな世界になるか考えたら分かるだろう
臨死体験でも、人の思いが自分が思っているように手に取るように伝わってくるという
思っていることが、すべて伝わって来るなら、汚い思いを持っている人はとても困ることにもなり、そんな人が集まっている世界は、地獄という世界となるだろう

あの世に天国や地獄が有るということは、世界宗教では言われていること
それゆえに、宗教では「心の教え」が重要なのだが、現代の宗教では、御利益信仰が支配して、何かをすれば、何かをしなければ、御利益を受けられ、良きことを引き寄せ自己実現ができるという
思いという波動は見えにくく、善悪の物差しを表面的なものに求めてしまう
その為に欲望を強め、
神仏の目から見れば、おぞましい限りの社会が出来あがる
幸福になるためには、幸福の原因(種)を撒く必要がある
幸福を生み出し、幸福が広がるような、心の波長にしなければならないのに、その逆を行こうとする人が増えている

死んで、波長の世界に住むようになると、肉体の縛りが解けて、その波長の持っているエネルギーは、解放されるという
その感覚は数倍以上のものが有るという
生きているときに、今だけ、ここだけ、自分だけ、結果だけの思いで、これが幸福だと勘違いしていたなら、そこから生れた周囲の悲惨な結果を同時に味わうことになるようだ
思いは瞬間的に言葉になるように、その思いが引き起こす悪しき結果も同時に存在することになる

自分たちの利益ばかりを考え、策謀をめぐらせて世界中で戦争を起こしているネオコンとか、ディープステート、グローバリストたち、要するに信仰心なく、神仏の視点で考えず、今だけ、ここだけ、自分だけ、金だけで生きて、そのような心を創り出した人たちの集まる世界は地獄
そこで犠牲となった人、悲しみ、痛みを同時に体験するようになるのでしょう
因果関係は、波動の世界では一瞬にめぐるようです

広島、長崎で原爆を落として多くの人を苦しみの世界に突き落とした人たちは、命令でやっていたことでしょうが、その行為は、やはり、今だけ、ここ、自分だけ、評価だけで為されたことであり、そこから生れた悲劇は、心だけの波長の世界に住んだならば、明確に見えてくることであり
被害を受けた人々の苦しみ悲しみを同じように味わうことになるようです
それが地獄でないわけはありません

霊的世界のことも、量子力学の世界のことも、とても理解はできませんが
それでも、唯物論や無神論から離れて考えると、ある一定のことが見えてくるようです

粒子と波長の世界を含めた世界、この宇宙全ての世界、
この全宇宙の世界の始まりには、創造主の思いがあり
その思いが、全宇宙に充満している

光に代表されるように、可視光線の7色やらそれ以外の波長もあり
この宇宙に重力、電磁気力、弱い力、強い力の4つあるといわれている
電波でも多すぎて理解できないけれど、どれもこれも波の性質を持っているようだ

この創造主の波動の中に含まれている波だろう
私たちの心も波として、その中で存在している
その神の波長と共振すれば幸福になるし、そうでなければ不幸になるのだろう

というか、創造主の一部として共に振動しているのかもしれない



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