FrontPage/2023-07-28
経済の本質
結局は、みんなが働いて創り出した「価値」が循環し与えあうことで経済は成長している
この原理原則の法則は、大きな国家レベルで見ると分かりにくいけれど、小さな村レベルで考えれば解かりやすいだろう
一人一人が、その持ち分を活かし働くことで、他者の生活を助け、潤いを与え豊かにしあっていくことで全体の生活水準も上がってくる
しかし、生活規模が人の増加とともに複雑になる宿命を持つことで、課題は次第に複雑になる
障害者とか弱者を抱え始めるとその対応も必要になる
犯罪など奪う愛の人が増え始めるとその防犯対策に人材も必要になる
もちろん、人が多くなり協力する人が増えれば生産性は向上して、次第に余力が増えることで対応は可能になる
地域対地域の紛争に対する備えも大丈夫だろう
しかし、争いがエスカレートするならば、人々の仕事は本来のものを奪われてしまうために、次第に経済力を弱めるだろう
結局、人々が小さくても価値を生み出すことに従事さえできておれば、経済は少しずつでも大きくなり豊かになる
ところが、経済を縮小させ人々を貧困化させる原因は何かといえば
具体的には働かない人が増え、働いている人たちが生み出したモノで生きている人が増えればそうなる
マイナス価値(奪う愛)の仕事をしている人が増えていくと決定的だろう
強盗、詐欺、万引き、犯罪行為に手を染める人が増えるとそうなる
ここで考えておかなければならないことは、「税金」のことだ
人が増えると、資金を出し合って公共インフラを整える必要も増える
公共サービスも不可欠になってくる
福祉政策などもやろうと思えばいくらでも仕事は増える
しかし、その為に多くの資金が必要とされることだ
その公共性の高い仕事をするために資金を必要とするけれど
その仕事に価値が有れば良いけれど無価値なものも有る可能性が有る
更に「マイナス価値」を含むものまである
政府に人々が頼ることで政府の仕事は増える傾向が有るけれど、そこにマイナス価値を生む土壌があることだ
結局は、国民全員で生み出している「価値」を誰かが盗んでいるか
その価値を「無価値」なものに使ってしまっているか
「マイナス価値」に投資している場合で、「働けど働けど我が暮らし楽にならざるなり」ということが起きてくる
ここで、先に挙げた障害者に対して生きている価値が無く不必要な存在だと見る人も出てくるだろう
しかし、神様からの視点から言えば違う
工夫して知恵を活かし対応するだけのものが与えられている
そこに、与える愛の実践のための魂の成長が願われてもいるのだろう
一般の仕事の場合、リターンが直接あるために分かり易いけれど
政府の仕事は、そう簡単ではない
先を見越しての予防的な仕事も有れば、安心安全の為に過剰な仕事が求められたりもする
リベラル傾向を強くすればするほど余分な仕事を求めるようになるだろう
「地獄への道は、善意で舗装されている」というように、社会貢献という美名の元に「マイナス価値」に転嫁しそうな仕事もやってしまう
旧ソ連のような社会主義国家においては、良かれと思い計画経済を敷いてきたけれど、そこに「無価値」を生み出す仕事も含まれ、結局は経済を弱らせていった
もちろん、悪い資本主義社会においては、欲望を増幅させることでの弊害も出てきた
悪い消費と悪い投資で、人々が産み出した「価値」を消耗するだけでなく
「マイナス価値」を生み出し続けるような社会にしているようだ
結局は、善悪の判断が狂ってきていることに有る
善悪の基準を、今、ここに生きている、自分たちに置いて判断しているために、無駄な投機や無駄な浪費で「価値」を消耗している
この善悪の基準を「神」の願いに置くべきなのだ
この善悪の基準を「人」に置いていると、LGBTで代表されるように人間の好きにさせてくれというようなことになる
この「人」に置いている価値観を持っているのが、アメリカの民主党、共和党の一部
それに対して「神」に置いているのがトランプだ
世界の分断を見れば、その要因は善悪の価値観を「人」に置くか「神」に置くかで分かれているようだ
日本は、ほとんど「人」においていて
天意など、どこの政党も考えていない
人の都合でだけ、目先の都合だけで動く
公明党の創価学会という宗教政党でも「人」にしか置いていない
唯一、「神」からの視点で考えているのが幸福実現党
この人を中心とするか神を中心とするかの違いは難しいかもしれないが
子供と大人の視点に落としてみれば簡単なことだ
子供は、今、ここにいる自分の考えで行動してよく転ぶ
大人は、先を予測して厳しい対応もする、単なる甘やかしは有害だと理解している
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