陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-07-05

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景気を良くするための方法

色んなことが政治や経済の専門家の間でも言われていて、経済指標とか専門用語が使われて良く分からない
しかし、そんなに難しいことなのだろうか
おそらく、単純な法則の元にあるのではないか

簡単に言えば、良く働いて無駄な支出をしないことだ
しかし、この「良く働く」という価値観が難しい
そして、何が無駄で何が無駄でないか分かりにくい


経済の基本は、自分にも他者に対しても「お役に立つ」ということが重要であり、その結果が個人の経済も全体の経済も押し上げる
お役立ちの結果が価値評価にあらわれてお金という実態を伴ったものとして循環する
誰しも自分の働きが良きものだと思いたい
しかし、良かれと思って多くの時間と労力や資材を使っても、その逆に働いてしまうことも想定できる
一生懸命働いても逆の働きになることも有る

歳を重ね色んな経験をすると実感として分かる
個人レベルでは分かり易いのだが
社会が複雑化すると分かりにくくなる
やはり、シンプルに原点を見つめる必要があるということだろう

単純にお金という視点でだけ見ても、コツコツと稼いできたものをどこに振り分けて使うべきかという課題がある
衣、食、住、そして健康生活などにそのお金を振り分けて使うのだが、その使い方で未来は変わってくる
その使い方に善悪があり、反省も含めた考え方で違いが出てくる

愛、知、反省、発展の循環がどこにも存在する
もっと大雑把に見れば「愛と反省」だ
自己にも他者にも愛(与える愛)があることで価値が生まれ、お金にも翻訳されて戻ってくる

現代社会では、愛を一律にとらえる傾向があるけれど、愛にも良い子(与える愛)悪い子(奪う愛)普通の子が有る
仕事にも良い子、悪い子、普通の子が有るように、良い仕事には愛(与える愛)が含まれていることが絶対条件だ
この善悪の判断を間違えると大変なことになるので、反省することが不可欠になる

このように考えれば考えるほど、経済の原理が見えてくる
この社会では、一人一人が仕事をして積み上げている価値(お金)がある
その中で、道路とかインフラ整備などで共通に必要なものに対して、そのお金を振り分けている
基本は、個人が負担して賄うが、政府が税金で集めたり、国債で借金したりして仕事をする
そのお金の使い方が正しいか否か、個人的なものは、直接個人に帰ってくるためにその良し悪しは分かり易い
しかし、社会全体で見ると分かりにくくなる
国家レベルでの仕事の評価は、難しい

人々の、社会の為になるという与える愛の思いでやっていた仕事が、本当に役に立っているのか、それとも、役に立っていると思っていたことが、大きなお世話で逆の奪う愛の仕事になってはいなかったのか、チェックし反省する必要があるということ
間違いに気づいたならば、即刻、やめる事だ

しかし、間違いに気づきにくいというか、無視しがちなのだろう
おそらく、それに拍車をかけているのが通貨発行という魔法のような力があるせいなのだろう
お金は信用を背景にした道具であるのに、どうしても、ぞの魔力に狂わされてしまう
信用が背景にある以上、単純にお札を刷りまくれば、その信用は消えてなくなり、誰もそのようなお札で取引の決済などしてくれなくなる
国債発行という借金の形をとれば違うのかもしれないが、これは、人々からの借金であるので、度を過ぎれば信用が無くなることは明白だ

詳しくは理解できていないけれど、日本の国債発行による借金は莫大なのにその信用は維持できていて、国債の追加発行は可能のようだ
しかし、世界が政策金利を上げてインフレを抑えようとする中で、日本だけは金利を上げられないらしい
金利を上げれば国債の利払いが増えてしまい、さらなる借金が増えるという
しまいに自国通貨での借金ができなくなり、外貨建ての借金しかできなくなれば、お札を刷ることで借金をかわせなくなり、財政破綻が起きる
そのようになる前に、おそらく、問題はどこかで噴出するだろう

金利を上げないために円安が進んでいるという
日本全体の価値が下がっているということだ
価値を貶めることで輸出をしやすくしたり、観光客を増やすこともできるけれど、国際収支が悪くなれば、更に日本の投げ売りが激しくなることのようだ

日本が投げ売りされても、そこには、まだ価値あるものが沢山あるおかげで、何とか生き延びれる道があるようだけれど、この悪循環は資源を輸入に頼っている日本にとって滅亡の危機にあることは間違いないだろう

やはり、ここで、「愛と反省」が出来なければ、そこに向かうしかない

結論から言えば、反省のできない大きな政府の形を変えるしかないだろう
大きな政府では、悪い仕事が多くなる
良かれと思って「奪う愛」の仕事が多くなる
経済対策として多くの資金が計上されているが、大半はバラマキ的なものであり、役に立つどころか逆効果の方が大きいと思える

財政出動を推進する議連などあるらしいけれど、それ以前の反省ができないなら無意味である
コロナワクチンの問題でも同じであり、開始以前からその危険性は言われていたのに、なぜ莫大な費用を使ったのか
おそらく、色んな利権も絡み、アメリカのごり押しも有ったのかもしれない
そのせいで、因果関係の証明は出来ないけれど、創造主から与えられた免疫力を狂わせガンなども暴走させ、簡単な病気で死者が増えているという
他にもワクチン接種後の副反応で死ぬ人も多いようだ
証明もしにくいようだけれど、反省がきちんとできれば解かりそうなものだ

とにかく、人の役に立たない、悪い仕事が多すぎる
大きな政府では、まさしく、しなくても良い、してはいけない仕事を多く生み出してしまう
国民が政府に頼りすぎるのも問題があるだろう

やはり、仕事の原点、ミクロの経済学を見つめる必要がある
ミクロを正しく見つめた先に、マクロとしての大きな経済社会の構築が可能だろうと思う

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