陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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素粒子と陰陽学

光にも波と粒の性質がある
素粒子にも粒と波の性質がある
光と素粒子が同じかどうかわからないけれど
物質の超ミクロの単位である素粒子の持っているだそうだ
これも陰と陽の関係だろうと思う
見えないものと見えているもの関係
世界が素粒子で出来ているとすれば、この基本性質が全てに関わっている可能性がある


この超ミクロの素粒子の持っている性質には不思議な性質がある
門外漢である私には理解すらできないが、フラクタルの森的に考えるなら何となく見えてくるものも有る

これは、人間の世界での思いと行いの関係でもあるのだろうか
幽霊のように消えたり現われたりするものやら観測者の存在も影響するという
あたかも魔法のようだという意見も出てくる
素粒子の視点から見れば、私たちや周囲の物質であっても、宇宙の構造のようにスカスカの状態だという
ニュートリノとかの物質を発射してもどこにも当たらずに肉体や物質を通り抜ける
宇宙空間に衛星とか発射しても引力を考えなければ、ほぼ何にもぶつかることなく通過するのと同じようだ

フラクタルの森の基本は、ミクロの世界とマクロの世界は似ているとする
それは具体的に言うとすれば、神(創造主)と人間は似ているということ
見えている形に違いがあろうとも、その背景に働いている力は共通している

人間社会でなされている仕事も、どれほどの違いがあろうと共通する力が働いている
仕事であろうが無かろうが、その活動や存在は、単純な法則で成り立っているようなのだ

この大雑把な考え方から導き出されたのが玄明の陰陽学である
世界(環境・時間、空間、人間{主体})があり、客体(課題)があり、思い(動機)があり、行い(具体化)があり、結果がある
言い換えると、宇宙は、波動と物質でできている

マルチバース(多次元宇宙)があるように、様々な波動があり、様々な宇宙(世界)を造っている

しかし、根源のスタート点が一点であると考えるなら原初なる波が起こされたのだろう
その波は、ビッグバーンと言われるようなものかもしれない
ただ、
私たちが考える爆発であるなら、次第にその力は弱まり、この大宇宙は拡大を弱めるように考えられていたが、最近の観測では逆だという
遠くにある天体ほど加速度的に速度を遠ざかっているという
ということは、この大宇宙には無限の力が存在しているのかもしれないのだ

細部を抑えることは不可能だが
どうやら、こんなことが言えるということのようだ

「世界は、陰と陽で成り立っている」
陰と陽には、コインの裏表のような関係から、原因の重なりのような関係など、必ず二つの要素が重なりすべてが成り立っているということ

光や素粒子の性質である、粒子の性質は目に見え易いものだろう
しかし、波の性質は、実験で目に見えるようにできるらしいけれど、正直言てわけが分からない
波で思い起こされるのは、レコード盤だ
レコードの針がレコード盤に刻まれた線のギザギザを通ることで音を忠実に再現する
この波からどうやって音が忠実に再現できるのか、当たり前のことだが不思議なことだ

おそらく、波の表現には様々有るのだろう
レコード盤に溝を刻むという方法だけでなく、電子的にもいろんな方法があるように、方法論としては様々有るだろう

そもそも、光すらその存在と力は解明されていないだろう
この波動の中には不思議な秘密が有るようだが
人間的に解釈するなら、思いという波動の不思議に注目する必要があるようだ

思いで宇宙が創られ、ミクロの世界では思いの力で運命を変えることができる



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