陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-06-18

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意見の違い

意見の違い、考え方の違い
この違いは、些細でどちらでもいいような問題から
見過ごすことのできない大きな問題まで幅広い広がりがある


文章を書く時にも表現の仕方には色々あり、その効果にも微妙な違いがある
その効果には違いはあるが、それほど気にしなくても良いこともある
しかし、そのつなげ方によっては大きな違いとなって効果を上げたるする場合も有れば、効果を下げることも有る
子細なことでも見過ごすことができない場合もある

子細なことと、正邪を分けてしまうような重要な違いとはつながっている可能性があるだろう
その正邪とか、善悪とか、良否とか、価値観を分けてしまう原因には、言葉のつなげ方もあるだろうけれど、前提から間違った認識がある場合もある

前提の違いには、過去に刷り込まれている情報で左右されたりする
過去の経験が大きく影響したり、先に記憶している情報が影響する場合がある

ロシアの問題などそうだ
旧ソ連に対する印象の悪さが影響する
スターリンは死後悪魔となっていると言われる
そういわれるように、彼が日本にしてきた仕打ちを考えると許容できるものではない
日本の保守の論壇の人たちでも、その記憶に影響されて今のロシアを見ている人も居るようだ

しかし、プーチンとスターリンとは違うし、ソ連とロシアは違う
当時の利害関係の違いも有れば、立場の違いもあり、思想の違いもある
ソ連もスターリンも共産主義という思想をベースにしていた
プーチンはそのロシアをギリシャ正教という思想でまとめようとしている
もちろん、ウクライナと日本の指導者も違う

それら指導者の正邪をどう分けるのかという問題もある
複雑に要素が絡み合うので、一つの価値観だけでトータルの正邪を見極めるのは難しいとも言える

もうひとつ、アメリカのトランプとバイデンだ
アメリカでも二極に分かれている
日本でもトランプを非難する言論人を見て私が不思議に感じるのは、私の見方に偏りがある可能性はある
ただ、トランプのような人物が大統領になるべきではないとまでいう知識人と称される人も居るが、バイデンが優れているとまで考えているとは思えない
この違いは何だろうと考えてしまう

結局は、それぞれの世界観、人生観、社会観、死生観を明らかにしなければ理解できないだろう
そして、そのことに関してどれだけの情報を得ているのか、その情報の質をどうとらえているのか、白紙の上に広げて見ない限り、その意見の信ぴょう性を図ることは出来ない

結局は、並列に並べてみただけでは、堂々巡りをするだけだろう
綜合的に価値判断をするためには、双方の上に崇高なる存在が居てどう見られているかということ
自分を超えた認識があることをイメージできるかどうか
信仰が、重要な課題なのだろう

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