陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-06-13

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発信装置と受信装置

人間には受信装置と発信装置が有るように思う
ラジオ局やテレビ局が有るように
地域の特性と言っても良いのだろうが
その地域地域にはそれぞれの放送局が有るのだろう


民族性とし片付けられているけれど
何か目に見えない何かが有るようだ

たとえば朝鮮半島と日本の違いが有るけれど
単純に歴史の違いとか、民族の違いで片付けられないような気がする
世界中で韓国人の評判は、日本人との比較でそれとは違いが有るようだ

これは、単に日本人の教育レベルや民度の高さとは言い難いだろう
おそらく、土地にも人間にも草木にも動物にも同じく、色んな意味を含めた送受信装置を持っておりそれぞれが交流しながら成り立っているのかもしれない

そもそも、人間を含めた動物を考えても見えることだが、何故、親から何も教わらなくても生きて行けるのか
もちろん赤ちゃんの時は親の世話を受なければいけないが、その世話をするのもその上の親から学ぶわけでも無さそうだ

本能は自然に身についている
この本能の本質が研究されたことがあるかどうか知らないが、考えれば不思議な事だらけだ
その体の中にそのような装置が組み込まれた形で創られているのかも知れないが、ただ、今クラウドでもわかるように一か所に情報が蓄積されていて使われているのかしれないもしれない

波動とか地場とか放射線とか色々あるようだけれど、まだ科学では解明されていない何かが有るのだろう
光に波と粒の性質があることは解かっていても、波の方は特段解明されているわけではない
粒に関しては、量子物理学で追い込まれつつあるようだけれど波については不明だ
電波とか電磁気力などは解かっているようだが、それもどの辺りまでかわからない

私は霊的にも鈍感だけれど、友人知人の中には敏感な人も居る
その話を聞いていると、私には見えたり聞こえることは無いけれど雰囲気的に分かることも有る
見えたり聞こえたりするとその人たちのようになるだろうことは想像できる
想像できると同時に、私たちが感じきることができないような情報もおそらく周囲にはあることが推定される

おそらく、素粒子の光の性質と同じように、すべてには波と粒の性質が有るのだろう
おそらく、すべての物、その存在を意識できるもの、そのすべては、波を発生しているのだろう
波動とひとくくりで表現しても良いのかもしれない

私たちは、住んでいる場所の波動も受けている
この地球全体の波動も、私たちを含めた波動の総合で成り立っているとも言えるのだろう

なによりも、私たち自体が波動の発信基地であり、波動の受動体であるのだろう
その力で、自分の体も健康にできれば、その力で家庭を素晴らしくもできる

仮に今住んでいる場所の波動が悪くても良くすることもできる
もちろん波に流され悪くすることもできる

こんなことを考えていると大川隆法総裁先生の教えの中に在ったことを思い出した
私たちの魂は、受信装置と発信装置を備えている
であるなら、良き波動を拾い、良き波動を発信する努力をする人が増えれば良い社会が出来るということだ
この取捨選択の延長線上に私たちの幸福が待っているのだろう

結局は、朝鮮半島もアメリカもそのような努力をしない人が増えたためにおかしげなことが起きているだけのようだ

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