陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-06-09

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思いの不思議

過度な「思い」は、良きことのように見えても悪しきことを引き寄せる可能性もある


最近、暗くなるようなニュースが目についてしまう
善悪の価値観が狂い、悪霊、悪魔が暗躍していることを思わせるようなことが世界中で起きている
しかし、そのような状況下で、自身の心も暗くなり世をはかないるだけでは
逆に、そのマイナスと思える波動に流されているだけで
その波動を応援し増幅させているだけの可能性もある

その悪しき雰囲気に気づくことも大切だが
そのハンドルがそちらの方に切ったままだと、切りすぎてスピンしてしまい大きな事故につながりかねない

フラクタルの森では、当て舵というか逆ハンを切る必要も有ることを言っている
しかし、どうしても惰性でそのままにして、気づくことが遅れてしまいがちだ

何事であれ、善なる良いことも過ぎればマイナスに働く
世をはかなんでばかりいるようだと、隠遁の気持ちとか、その社会を消し去りたいとまで思ってしまう可能性がある

では、どうすれば良いかと考えると
そこで、逆の力を意識し、いつでも歯止めの力が加えられるようにしておく必要が有るようだ

ではどうするかというと、積極的な考え方だろう
圧倒的な善念、限りなく優しくあれ、とかの教えも有るように
偉大なる親のごとく、神の如き力で、どうすれば良いかと考えるべきなのだろう

悲観して終わりでは、悪魔や悪霊に負けていることになる
神の力を引き寄せてこれるように、肯定的なイメージをこの社会に塗り重ねる必要が有るのだろう

正しき心の探求の大切さが言われているが、日々刻刻変わっていく思いを統御して、神の国が実現できる方向で正しさを探していく必要が有る
優しさも過ぎれば堕落につながるが
厳しすぎても暗いみじめな世界へと追い込んでしまう
暗い気持ちに支配されそうなときには、やはり、明かりをともすことだ
闇に光は消せないが、光で闇は消せる
小さな光でも自らが産み出すべきなのだ

本当に心とは難しい
この善悪の座標軸を創造主の心に合わせたいものだ

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