陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-05-31

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お金の力

この魔力には、恐ろしいものがある
政府から子供手当とか、コロナ手当とか、様々な名目でお金が配られる
その為に制限なく財政出動を肯定する向きもある
確かにお金を配られることはありがたい
しかし、その反面に起きてくることを考えると、なんとも言い難い不安も感じてしまう


お金を単なる数字やお札という物と見た時に、政府や日銀は自由に発行できて、それが、国民のものになるのだから良いではないかと考えているようだ

しかし、お金の背景には信用というモノが有る
政府や国の信用を背景に成り立っているけれど、その信用が何かをきっかけにして無くなれば、お金の価値も同時に消えて行く可能性が有る
財政均衡をいう財務官僚たちにしても、積極財政を唱える政治家にしても、多少は信用ということも考えに入っているのだろうけれど、どうも算数だけで考えているようだ

数字だけ、その赤字額を見て恐怖する側と、その赤字額でも財政破綻が起きていないことでマヒしている側とが有るようだ
恐怖する側は、これ以上借金が増えれば大変だとして、将来にツケを残さないようにとか色んなこじ付けをして増税による資金調達を考える

一方の財政出動派は、国民に負担を押し付けるべきではないとして国債発行での資金調達を考える

確かに両方ともに正しい言い分では有るだろうが、何らかの間違いが有る
財政出動派にしろ、財政均衡派にしろ、この国債発行での借金を正確に見ていない

これは、一般での借金と同じかもしれないけれど、考え方として、この借金は神からしているのだという認識が加わる必要が有るということ
信用を担保してくれる最大の存在は、神からの信用だということ
神から借金しているのなら、その使い道に慎重にならざるを得ない

その使い道が、神の思いと同じであるならどんなに膨れ上がろうと問題は無い
しかし、その逆であれば少額であっても使えば使うほど信用は毀損して国民の役に立つことは無い
この善悪の判断が、それぞれの立場での自己中心になることで狂ってくる
神に代わって成しているという感覚が不可欠なのだ

今、多くの人たちの心の中には神は存在しないようだ
日本の祭りごとに関わる人々の中で神や仏の名を口にする人は居ない
神や人気が、それぞれの考え方の上に存在しなければ、自分たちの立場での正しさが神になってしまう
当然ながら歩み寄れるものではなく対立することになり蛇行する

くどいけれど、あの世が有り、神仏なる存在も在り
その神仏の願いが有ってこの世が成り立っていることを信じるべきだ



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