陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-05-28

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長野立て籠り事件

4人の命が奪われた
この事件で耳に入る状況だけで見る限り
被害妄想であり、犯人が唯物論だということ


ただ、唯物論で無神論であってもあまりに合理的ではない
ちょっと考えただけでも、本人の得にならないのは明白であり
それなのに何故、殺人という行動に移したのか
とても不思議なことだ
これは、間違いなく悪霊の支配下に置かれての行動だろう

その理由は、波長導通の法則が有るように
犯人が常日頃思っている事が実現できたということだろう
ちょっと思うくらい良いだろうと思うだろうが、繰り返し思っていることは、やがて実現する
思うだけなら問題ないように思うだろうけれど
たとえば、ゲームとかの動画を見続けるとその影響を受けるように
思い続けるということは、大きな力を持っている

引き寄せの法則とか、自己実現の法則でも有るように
強くイメージすれば現実化しやすくなるのと同じだ
明らかに犯罪になるようなことでも同じことで、思うだけなら問題ないように思うけれど、世間で評価されるような自己実現は難しいけれど、犯罪のようなことは簡単に起こせる

その中間的なことでいうなら、陶芸体験などやってみたいと思えばすぐに出来る
日ごろ、何か工芸的なことに興味があって機会が有ればやってみたいと思っていれば、実現できる
ちょっとしたキッカケで行動に移すことが出来る

要するに、「思う」ということはとても奥深いということ
恋愛でもそうだけれど、思いの基本には「愛」があるけれど
ここには「与える愛」の思いも「奪う愛」の思いでも自由に入れることができる
左脳的損得と右脳的好嫌がゴッチャになって本人にすらわけが分からなくなる
これが、自己中で利己的になると相手の都合など関係なくなり、自分の思いを実現しようとする
そして、相手の幸福までも奪おうとするまで至る

恋愛とかは微妙であるが、自己中で利己的だと起きることは、極端になればこのような犯罪まで至るようになる

経済問題とか政治の問題でも動機とか理念の中になんでも入れることが出来る
愛と同じように、綺麗ごとのようにアピールしながら奪う愛の実行も出来て、自分の自己実現の道具として使うこともできる
思いの中身の実態を明確に知ることは、他人ではなおさら、本人でもつかみにくいのだ
良いだろうと思っていても、自分本位で大丈夫だと感じている場合も多い

もっと極端になり、財力や政治力など大きな支配力を持った人たちになると、もっと悲惨さは広がり、しかも知力も加わることで、このようなわけの分からない犯罪を超えたものになる可能性もでてくる
自分が思っている理想とする世界観を実現しようとして、他人の都合など関係無くなると
ニューワールドオーダーとかいって新たな世界秩序を造ろうとして戦争を起こしながら資金力を増やすことと同時に、自分の理想の世界を創り出そうとする

今回の事件のように、知力が乏しく政治力も経済力もない者の自己実現は、単なる犯罪として人々の知るところとなるだろうけれど
大規模で世界で起きていることとフラクタルなのだ

この思いの力は、どうやらあの世の既存の力と導通し、その力の助力を受け実現されているようだ

その原因は、当然ながら私たち凡人の平均値の上に出てくるのであり
このレベルが「奪う愛」の方向にずれすぎているということだろう

こんなことを書いていて、私自身も気づいたことが有る
まあ、いいだろうと思っていることの中に創造主の思いを逸脱したことが有るということ
そのような思いを薄めるために、
何とか「神」の願いに近い思いを出そうとして、このような文章を書いている



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