陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-05-14

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自己犠牲の心

ドラマなどで自らの命の危険も顧みずに人の命を救おうとするシーンが有る
すると、人々は感動するのだけれど
何故、感動するのだろうか


考えると、確かにそこに美しさを感じるものがある
本来は、自己保存の本能があり危険を冒してまで動くことにブレーキがかかる
ところが、歴史上の偉人たちの中にはそんな人が多い

この自己犠牲の精神に誰しも感動する原因は、自己保存の心を自らに映し自らの利得の思いがそうさせているわけでもないだろう

反対に自らの命を長らえようとして他人を犠牲にするようなシーンが有ると引いてしまう
美しいとはとても思えない、醜く感じてしまうのだ

その原因を考えると、善悪の問題が浮かんでくる
この美醜の問題が、どうやら、その前提としての善悪の感情が元にしてあるようだ

人間には、もともと愛を与えようとする本能が有るようなのだ
愛を与えるのか、愛を奪うのか
命を与えるのか、命を奪うのか
この愛の課題が、善悪の価値判断に影響している

昔から言われている価値観に「真・善・美」というのが有るけれど
どうやら、順番が有りそうなのだ
美醜という感動は大きなものがあるけれど、その前提として善悪がある
ただ、善悪をごまかして表面だけ飾るような美も有るだろう

美容整形などでも表面を美しくするのも良いだろうが、
心の中の善悪の価値判断が狂っていると、その思いは美しいとは言えない
その思いは、表情の目に見えるモノの中にも浮かび現れてくる
どのような美男美女でも見慣れてくると、人はその心の中も感じ取れるようになる
人間とは元々霊的存在であり、見えないものも感じ取れるからだ

ただ、ここでもう一度考えてみると
何故、善悪が発生するのか
人、時、所によってこの価値観は一定でないことも多い
やはり、この善悪の課題は、その前の真なるか否かの問題が有るようだ

真なるモノをつかんでいると、この善悪の問題で揺れ動いていても
調整する糸口はつかめるだろう
この真か偽かの価値観を間違えているなら、当然、善悪の価値観にも狂いが生じてくる

自己犠牲の精神になぜ感動するのか考えた時、この真善美という価値観があり、つながっているのだということが解かる

スライド3

そして、この真偽の問題であるが
多くの政治家や言論人の持っているのが、どうやら偽物が多いようなのだ
この世界観で偽物をつかんでいると、善悪の判断にも狂いが生まれ
美しくない国づくりをしてしまうということになる

ということは、特に政治家たちには、何とかして、この価値観を公表してもらう必要が有りそうだ
というより、その世界観を公表する義務があるだろう
思想宗教を公表してもらう必要が有る
選挙などで、人々は、目に見えやすい学歴や育ち、見た目や有名かどうかで判断しがちだからだ
この世界観の中で大きく影響するのは、死生観だ
これに対して真偽の価値観が狂っていると、図に書かれているような社会が展開してくる

死後の世界

ただ、世界中、偽物の世界観が支配するようになり
政治家を選ぶにしても偽物の価値観で選ぶことで、善悪を間違え
醜い世界を創り出すことになる

臭い匂いは、元から絶たなきゃダメということも有るが
結局は、宗教的伝道に課題があるということだ



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