陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-05-13

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目に見えにくいモノを見ないと起きる現象

次の3か所が見えにくいモノとして有るだろう
時間、空間、人間の中に有る

       陰     と    陽
時間   原因があって     結果が出る
空間   他者に支えられて   自己がある
人間   右脳的感覚に支えられて左脳的知覚がある


時間的には、今は見えるけれど、そうなった原因とか、その結果、次に起こり未来に起きてくることは見えにくい
空間的には、今ここにいる自分というものは見えるけれど、家族であっても自分以外のものは見えにくい
まして、地球の裏側であったり、敵対するものであったり、他人であればなおさらだ
人間的には、自分自身の中でも考えが整理できない場合も多い
その理由は、時間と空間にも関わるけれど左脳的判断(時間)と右脳的判断(空間)が混在しているからだ
しかも、それぞれに二種類の判断があり迷うことにある
左脳的損得にしても、それが得なのか損なのか判断が難しい
右脳的好き嫌いにしても、本当に好きなのか嫌いなのかが難しい
時間と空間の違いで影響されるからだ

おそらく、考えるに際して使われる情報としてはこれだけだろう
これだけの情報でも、思考停止させやすい人や
深く考えようとしない人は考えが蛇行しやすくなるだろう
極端にブレることが多くなる
傾向性としては、時間的には、表面的に出ている結果の部分だけを見る
要するに、結果主義になり
空間的には、今、ここにいる自分の視点でだけ考える
要するに、自己中だ
そして、その延長線に待っているのは、人間的には、ご都合主義というのか
極端に蛇行しやすくなり安定しなくなり、結果的に信用を無くす方向に働くだろう

信用というモノは、人間にとって最も大切であり
信用が無くなれば経済も何もかにも有ったものではない
神からの信用を無くしてしまうならば、当然、運も悪くなる

もちろん、自己中も結果主義も程度問題では有るけれど
現代社会に起きていることを見れば、あまりにも過度になっている
個人レベルでそうなのだから、個人の集まりである社会や国家レベルではそれが集まり凝縮されてしまう
というか、世界レベルで起きていることを見れば、個人レベルでの考え方で、この傾向があまりにも強くなっていることが判る

ただ、この世で生きるということは、自分自身にこだわり、自分が得ることができる恩恵にこだわらなければならない
これにも良い子悪い子普通の子が有る
これが悪い子レベルに多くの人がなっているということだろう
多くの場合程度を超えて過ぎてしまう傾向がある
過ぎてしまって、反省し修正できなければ、信用を失うということ
信用を失うと運が悪くなる
運が悪くなると不幸になる
画像の説明

運を良くするためには、原因を考え、意見の違う他者の考えを見ること
たとえば、人はお金が好きだ
そのお金を得るために働いているように思いがちだけれど、お金が得られる前提として
「その仕事が他者にとって真にお楽に立つこと」
ここでも、原因と結果、他者と自己との関係を両目で見ることが大切なことが判る

この両目で見ることが無ければ、お金を得ることができなくなってくる
この両目で立体的に物事を見る事ができないとで、個人的であれレベルレベルであれ犯罪行為に手を染めることになる
良かれという言訳をしながら、犯罪行為をしてしまうのだ

お金を稼げる、利益を得ることができる、神の恩寵を受けることができるためには、この基本が不可欠なのに
頭の良い人たちは、左脳的な価値観を優先しすぎて基本を無視し、お金(利得)を得ようとする
DSやグローバリストたち、ネオコンたちの中で蔓延している

そして、大金を握っている人たちの欲は大きく、といううか、それに関わる人たちの欲が、一般大衆を巻き込み、同じ穴のムジナたちが無意識化で協力し合い、悪霊とか悪魔の指導(インスピレーション)を受けながら渦を巻いている

この渦の流れを止め、逆の渦巻に戻すためには、目に見えにくいモノを見る文化を起こす必要が有る
その為に、このようなめんどくさい文章を書いている

夏ごろまでには最初の本が出版されます
タイトルはまだ決まっていませんが、玄明という名前で全国の書店に並びます
アマゾンとかのネット上でも購入できるようです



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