陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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真を求める

真善美の価値観を考えるときに
真偽の判断が、いろんなところで有る
本物か偽物かということ

ここにカルトということがある
カルトとは宗教に関わる言葉のようだ
これは、宗教における真偽の判定でもあるだろう

宗教、要するに世界観に関わることである以上とても重要な問題だ
人々の世界観が、人や国家の未来に影響を与えるからだ


要するに、偽物の宗教を信じる人が増えると社会は悪くなっていく
真なる宗教と偽物の宗教の見分け方、その価値の見分け方が狂っていると狂った社会が出来る

この価値判定をするときに、多くの人がしている間違いは何かというと
「無宗教」も宗教の一種だということを知らないことだ

宗教には大きく分けると無宗教と有宗教の二つが有る
そして、それぞれに多様な形がある
あまりにも多くの思想宗教が有るということで簡単ではない

ここでまず、宗教自体としての真偽を判定する必要が有るだろう
要するに、無宗教と有宗教がどちらが真実なのか
現実に在る以上、どちらでも良いではないかという考えも有るだろう

ただ、宗教とは何かということがある
色んな定義が有るだろうが、基本は目に見えない畏怖すべき存在とか仕組みが有り、それに沿って生きることで安心安寧を得ようとする考え方といってよいだろう

唯物論と唯心論に分かれることでもあるが、
要するに目に見えないものを信じるかどうかである
唯物論だと当然ながらあの世も無ければ無神論になる
宗教を信じるならば、神仏などの存在も認めることになる

唯物論が正しいのか、それとも目に見えない世界を信じる方が正しいのか?
ここで真偽が分かれることをまず知ることだ

無神論、唯物論が真実ならば、
あの世とかいうモノは無く、神仏も無く、宗教は単に気休めである
そうであるのなら、多くの人が宗教の価値を認めそこにお金が大量に流れ込むということには問題がある
真なる価値を持たないものに資金、お金が集まるということは、経済原理としては無駄なことでもある

しかし、真実が逆である場合、正しい心の教えが有るということは社会の健全化にとても重要なことだ
今では当たり前のようになっている「大学」
この始まりは「神学」からだということから見ても、目には見えない世界の真実を学ぶということは大きな価値が有ったということだ

しかし、今、現代社会の中ではいろんな宗教の中に身を置きながら無神論唯物論の人たちが増えている
世界には、キリスト教国も仏教国もイスラム教国もある
そして、無宗教国もある
無宗教国はさて置き、国教と言われるようなものが有りながらも、自身は宗教という制度の中に住まいしながら無宗教の人は多い
日本でも、世界でも同じであり、身近な実情を考えれば解かることだ
何々宗ですと言いながら唯物論で無神論の人はとても多い
聖職者、僧侶でも同じだ
職業としてやっているだけの人も多い

本来なら、ここで真偽は判定される必要が有るけれどあまりにも緩い

はっきり言うけれど、無宗教という宗教こそがカルト宗教だ
そのカルト宗教に心を置きながら、有宗教の真偽の価値判断が出来るわけは無い

あまりにも明白な論理である
有宗教は、目に見えない世界を扱うためにウソもつき放題であり
詭弁をろうする効果も無限にあるといっても良い
無神論者にその違いを判定しようがないのだ

その為に、何らかのことで目に見えない存在の助力が欲しいと思ったときに簡単にだまされる
お経を何回も上げれば救われるとか、多額のお布施をすれば救われるとか
神社仏閣で手を合わせ祈れば救われるとか
その教団に入れば救われるとか
ありとあらゆる宣伝文句に騙される

考えれば解かりそうなものだけれど、その人の心が変わらない限り
助力が加わっても、その潜在的資格が整っていない人には無理である
要するに、心の教えが有り、愛の教えが有り、知性的な教えが有り、反省の教えが、発展、繁栄の教えが無ければ、宗教として成り立つことは難しい
有宗教でもカルト宗教が多くなるのはこのせいだ

しかし、繰り返し強く言うが、無宗教というカルト宗教ほど愚かなモノは無い
このカルト宗教が世界に蔓延しているために世界はおかしくなっている
この無宗教も人々をだまして導く方法は、また無限にあるといっても良い
要するに、目に見えにくいものを見せないようにしてだます方法は
目に見えやすいものを使ってやることだ

原因と結果の結果ばかりを見させる
他者と自己の自己ばかりを見させる
要するに、結果至上主義、自己中心主義だ
脅しとスカシ、ムチとアメで簡単だ
今、アメが世界中でバラまかれている
そのばら撒かれているアメの真偽が露呈したときに何が起きるか

私の様な陶芸家が、世界レベルの経済を理解する術はないけれど
それが、なぜ、ここまで言い切ることが出来るのか、自分でも不思議だ
しかし、昔から真善美という言葉が気にかかり
幸福の科学でこの真善美に関する事を学んだおかげだろう

偽物は一時評価を受けても、必ず化けの皮ははがれる
正直は一生の宝と言われるが
真なるモノは、時間と空間を超えても生き残り、目に見えない世界で必ず光を放つ

要するに、うそはダメだということ
正直の中にこそ本物の価値が有るのだろう

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