陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-31

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世界観と価値観は同じだ

ユーチューブで及川さんが教えてくれた
アメリカのキリスト教系の学校で起きた銃乱射事件だ
6人がLGBTQの女性の手にかかって殺された
この事件の背景に世界観と価値観の衝突が有ったようだ
https://www.youtube.com/watch?v=7v3APSBKx-Q


この話を聞きながら、私は私の世界に入っていった
結局は、いつも使う図の延長線上で起こりうること

死後の世界

左翼、共産主義、リベラル傾向の考えでは、あの世も無ければ、神も仏も無い
唯物論、無神論であり、善悪の規律はすべて自分の中に在り
神仏からの視点とか、客観視はあり得ない
自由が大事であり、神からの願いや、神から見た善悪など無関係であり
いかに自由が担保されるかが重要なのだろう

この図の左側の世界で、この世界を信じるならば宗教など邪悪な思想だ
自分が、自分たちがやりたいことにケチを付ける邪魔な考えだ
目に見えない、証明できない神の視点など
単なる思い込みであり、うるさい親の繰り言にも似て邪魔以外の何物でもない

堕胎の問題でも自分が都合悪ければ、降ろして悪いことが有るだろうか
堕胎禁止という法律など、女性の人権を踏みにじることになる
しかし客観的に考えれば、魂を宿し成長途中の胎児をおろすと言うことは
胎児を殺すことになる
胎児の人権は、何もものが言えないからといって無視して良いものだろうか
あまりにも大人の自分本位の考え方であり、それだけで良いわけではないだろう

政治問題でも経済問題でもそうだけれど
この客観視が出来ない人たちが増えている

画像の説明

要するに、信仰心の問題だ
要するに、客観的な思考が出来るかどうかだ

今世界を二分している考え方は、この二つの図が関わる
左の考え方と、客観視が出来ない考え方とは、大きく道が分かれていく
色んな課題に反応して具体化していくときに違ってくる
同じではありえないのだ

表面的には同じように見える
更に左側の考え方では、自分が得る結果を強く求めるために優しさを強く押し出しがちになる
それが有効な手段だと知っているからだ
優しさ、それは、本来、道徳的規範から生まれるけれど
宗教的価値観が無いために、ただ、道具として扱われる

これがある意味、無神論者、左翼の常とう手段ではある
おそらく、悪意が有ってではないだろうが、
宗教を否定するとどうしても道徳的価値観が薄らいでしまうようだ

要するに、宗教心が無いと優しさが無意識下で手段的な道具として利用されてしまう
愛も優しさも手段として利用すると強烈になるようだが
そこには、ある種の匂いが漂ってくる
そこにある種の美があるように見えていても
その美は、醜さを含み、何ともいえないおぞましさが漂うことになる
今、そんな政治家が多いようで、国会など見るに堪えない感じもする

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