陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-29

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価値とは

私が経済のことなど文章を書いていると
「価値」という言葉がよく出てくる
これは、ある意味「お金」のことだが
なぜお金という言葉を使わないのか時々不思議に思う


お金、特にお札、1万円札を見て思うのだが
とても不思議な感覚がある
魔力ともいえるようなものを感じるのだ

どうやら、これも仮面をかぶり私たちをごまかしているようだ
そこで、仮面に誤魔化されないように「価値感」という言葉を使ってしまうようだ

世界経済の混迷が、今表面化しつつある
この仮面が剝がされつつあるのかもしれないのだ
銀行の破綻が危惧されているが、細かな原因は私は専門家ではないし分らないけれど
結局は、その銀行に価値がなくなっているということではないのか
そこで扱われているお金に価値がなくなり、その価値の亡くなったものを扱っても、その価値を増やすことが出来なくなっている
今、その価値を担保しようとして
より大きな銀行や金とか、紙幣以外の債券とかほかのものに変えようとしているようだが、成功できるだろうか

そもそも、世界の人々が本来価値のないものに視線を集め
それに動かされているのだろう
言い換えるなら、選挙などでも言える
選挙で選ぶべきは価値ある人であるべきなのに
価値の無い人を選ぶようなシステムが出来てしまっている
価値のない人、価値を生み出す能力の無い、生まれや学力や
経歴や、表面的な見栄えの良さや有名かどうかで選ばれるならば
それらの人が導く世界では、価値が生まれるどころか
お金をつぎ込めばつぎ込むほど価値は増えず消えて行くしかないのかもしれない

結局、世界中で本質的な価値が消えて行っているために世界が下り坂を転げ落ちていく
目に見える表面的な結果や表面的な価値に振り回された結果だ

目に見えない、目に見えにくい価値を多くの人が見るようになり
その価値を正しく見れるようにならない限りこの方向は止まらない

たとえば、幸福実現党の政策を見れば、間違いなく良い方向に向かうと
私は確信するのだけれど
今だ一人も国政に出ていない
及川幸久さんなども選挙に出るけれど、よく言われているのが
宗教でなければ応援できるのにという言葉である

そもそも、宗教の何たるか
宗教にも良い子悪い子普通の子がある
その価値観も理解できずに、悪い宗教の創価学会の公明党が政権与党に入っている
その結果を見ても、多くの人たちの価値観が狂っている
その間違った価値観のまま国家が運営されるならどのようになるか
その価値が下がっているから国民の所得は下がり
貧乏国へと落ちぶれつつある

この価値観とは、本当に不思議なことだが
誰の価値観が正しいのか、やはり、その正しさは神仏に求め
創造主の価値観に求めるしかない

創造主とか神仏とかイメージしにくければ
時々言っている最高最善最大のジジババをイメージすることだ

最高のジジババは、全ての人々を我が子や我が孫と見るだろう
全ての存在を我が子や孫とみて正しさを考え、最高の価値を与えようとするならば、正しい道を指し示すことが可能だ
どのような世界に子や孫を住まわせたいか考えるなら、やるべきことは決まってくる

これが見えないということは、自己中の視点でしか見ていない最低のジジババだろう
最低のジジババは簡単に想像できるのに、なぜにそれに気が付かない
ベーシックインカムやIR法など、なんで賛同できるのか
こんな政治家たちは、最低以下であり悪魔に支配されているとしか言いようがない
この狂った価値観を反省しない限り未来は無い
(NHK党の黒川氏、幸福の科学に対する誹謗中傷を繰り返しているようだがベーシックインカムを推していることでも中身が見える)

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