陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-02-20

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話を聞く時、この図が頭の中に在る

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通常、会話されている部分は、ほとんどが「どのようにして」「どうなった」の所
「行い」の所

論理的に考えれば解かるが、行為に移る前には判断とか「なぜ」の所がある
「思い」の所がある
意識しようが無意識であろうが必ずある

そして、さらに意識していないだろうが、その人の人生観とか世界観が影響している

私は、記憶力も頭の回転力も悪いせいなのか、人の話を聞いていても途中でわからなくなってしまう
そこで整理をしておきたいために出来てきたのがこの図だったように思う

この図の長所は、その人の言動を注視していると、その思いも見え、その人の世界観も見えてくることだ

昨日、ある人の話を聞いていてこの図に関して重要なことに気づいたのだけれど忘れてしまった
それを思い出そうとして、今書いているいるのだが肝心なことが思い出せないでいる

今までも時々書いていたことなのだと思うが、一歩踏み出せた理解のはずだ

そのこととは直接関係はないが、最近、ひろゆき氏と成田悠輔氏の出ているユーチューブにハマっている
この二人は、私などと違って頭が良い
しかも正直だと思うので私の中では好感度は高い
しかし、間違っていると思うことも多い

なぜかというと、この二人は、「行い」の所
どうやって、どうなった、手段と結果の所の話が多いように思う
理数的なところ、左脳的なところの頭の良さは、おそらく秀逸なのだろう
しかし、話を聞いていると、特にひろゆき氏は「なぜ」の所、動機の所に対する追い込みが足らなくて表面的な成果を重視しているようだ
成田氏は、それを意識してなのか上手にケムにまくように思う

おそらく、それから想像するに、イエスキリストとか吉田松陰とか、歴史上で
自分の得にもならないことで命を捨ててきた人のことは理解できないのだろうと思う
感動は出来ても、おそらく理解は出来ないだろう

考えると私も昔はそうだった
自分には無理だと思うから尊敬していたのだろう
しかし、この図のように掘り下げてみると理解が出来る

もちろん、幸福の科学で、この世界の実相を学び
霊的世界が有り、この世は修行のための仮の世であり
本来はあの世が実相の世界であることを知ったことで理解は出来るようになったことだ
頭で理解できても、それを悟れているかは別問題ではある
心の奥の方で理解している部分が有るから、
おそらく、そのような偉人たちの人生に感動するのだろう

しかし、この世界が、あの世もなく、本当に死ねば全てが無になる世界なら
イエスも吉田松陰たちは、愚かでバカ者だということになる

そのような偉人たちは、この世界の実相を悟り、そのように生きることが個人にとっても幸福なことだと理解していたからこそ、その命を捨てることが出来たのだろう
ただ、これは確かに凡人の悟りではない
最高のジジババ、神や創造主としての悟りにつながるのかもしれない

この悟りが、結局「思い」の中身に関係してくるのだろう
ひろゆき氏たちに言いたいけれど思いの中の動機の重要さだ
ここに入るべきは「愛」
しかし、この愛にも良い子悪い子普通の子が有る
「与える愛」と「奪う愛」と「普通の愛」(ギブ&テイク)

この「与える愛」が商品やサービスに含まれるかどうかで経済の循環にも影響してくる
この商品やサービスに「奪う愛」が紛れ込むと、やがて結果の中にも現れてくる
そこから派生するのは、詐欺的な行為だ
そして、泥棒行為や強盗の行為につながっていく
そうした方がめんどくさくなくて、目先手っ取り早く結果を出せるからだ

左脳だけ頭が良いだけで、実相世界の理解が欠如して、生きて時だけの成果しか考えなければ
やりたい放題のことをして、行き詰まれば自分の命を終わらせれば良いだけになる

成田氏もひろゆき氏も、もしそのような世界の伝道師のようになったとしたら、その責任は重くのしかかり、死後、地獄へと落ちる可能性が有るだろう
その危険性はあると思う



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